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消えた決算報告書

「ぬあぁぁぁいっっ!!」
 素っ頓狂な声が、オランの街中に響きわたった。白昼堂々の大声に、道行く人が振り返る。
 青年は、額から頬を伝い落ちる汗を拭おうともせず、所持品の全てに目を通した。衣類を収めた鞄に至るまで、その透き通るように白い手で徹底的に調べ尽くされる。
 しかし──目的の品物は、その中になかった。
「やばい……」
 彼の鼓動が、本格的に高鳴ってくる。
「落ち着け、俺……。ここでこうしていても仕方がない、今日取った行動を徹底的に洗い直そう……」
 手近な店で注文した紅茶を啜りながら、その男セダルはその日の行動を順に追っていった。
「そう……昼前にオラン入りしたときには、確かにあったんだ。そこから、オランの大通りを歩いて……それから……」
 ガールハントして……と、彼は心の中で呟いた。
「……それ以外、何もやってないはずだ。なのになぜ、鞄に入れていたはずの書類が消えるんだ?!」
 ちなみに、先ほど通りで叫んだ時も「ガールハント」の最中であったことを補足しておく。
 ため息をつき、長身の美男子はゆっくりと立ち上がった。
「気乗りはしないが……あの男を頼ってみるか……」
 焦燥の彼が数十分後に行き着いた場所。それは、オラン警備隊の詰め所であった。

「んぁ? 誰かと思えば、クレイン・ネットワークの支部長さんじゃねぇか。どうした?」
「実は……ちょっと困ったことが……」
 路頭に迷ったセダルが行き着いたのは、「鬼検事」の異名でその名を轟かせるバールスの所であった。他人事ながら、落とし物ならもう少し別の場所を選べばよかろうに、と思わなくもない。
「ふん。まぁ、中へ入りな。話を聞いてやろう。先客がいるが、まぁ気にするな」
 招かれざる客を快く……とはいかないまでも、とにかく部屋へ入れるバールス。
 検事殿の私室では、一人のドワーフが茶菓子をがっついていた。室内に入ってくる足音に一瞬顔を上げたが、また即座に顔(というか口)を菓子に戻した。
「……?」
 切れ者の彼でもさすがに状況が飲み込めなかったのか、首を傾げてバールスの方を見やる。
 鬼検事は、やれやれといった様子で肩を竦めた。
「ダッシュの奴、一ヶ月ほど前に一度、フラリとここへ遊びに来たんだ。その時のことなんだが、あまりにもしつっこく『腹減った、腹減った』って言いやがるもんで、買い置きの菓子を食わせてやったらすっかり味をしめてな」
「ほう……」
「三、四日に一回は、野良犬のようにフラフラとここへやってくるようになってしまった。まったく、エサはみだりに与えるもんじゃねぇな……」
 ダッシュは犬か?
「まあ、暇なときにはいい話し相手になってくれるからな。よっぽど忙しくない限りは中に入れてやってるが」
 言いながらセダルに席を勧め、自身は客のために茶を入れに行った。見かけと日頃の行いの割に、なかなかまめな男である。
「元気にやっとったか、セダル?」
 ドワーフは、菓子を口元へ運ぶ手を休めて口の中の物を飲み込み、ずずずっと悠長に茶まで啜ってから、ようやく向かいの席に着いた男に話しかけた。
「まあ、元気だった……ほんの一時間ほど前まではな」
 茶菓子に囲まれて至福の表情のダッシュと、最重要書類を失って憂鬱極まりないセダルとのコントラストが、傍目のバールスにはなかなか珍妙なものとして映った。
「ありがとう」
 茶を運んできたバールスに頭を下げて一口含んでから、彼は書類を失うまでの経緯を語り出した。

 読者の中に「セダル」=「ティグお抱えの便利な精霊使いで、影の薄い奴」というイメージが定着しているであろう事は想像に難くない。
 だがしかし、あくまでもセダルの本職(肩書きともいう)は「クレイン・ネットワーク・カゾフ支部長」である。その名の通り、ネットワークのカゾフ支部を統括する存在であり、ネットワーク内でも十指に入る実力者なのだ。
 また、支部長の中では最年少の26歳であり(リーハの年齢についてはあえて触れまい)、容姿端麗ということと相俟って、ネットワークに所属する女性の注目の的である。この辺に、彼の女性遍歴が多彩である原因の一つが隠されている気も……あ、いや、そんなことはどうでもよろしい。
 ところで、各支部の支部長は、一年のうちある期間を支部で過ごし、残りはオランに滞在して本部での仕事に従事する。もっとも、本部での仕事といっても、その大半は本部付の人間が代わりに行うので、実際の所は「オラン滞在」=「骨休め」となっている。
 この滞在期間というのは支部長によって異なっているが、一般には支部の業績がよいほど、オランでの滞在期間も長い。その最たる者がリーハで、彼女が支部で直接指示を下すのは、年にわずか一ヶ月となっている。移動にかなりの時間がかかるとはいえ、次に短いセダルが三ヶ月であることを考えれば、例外的な短さといえる。この裏にティグの下心があるかどうかは定かでない。
 支部からオランへ出向する際には、一年間の経理をまとめた「決算報告書」をティグの元へ届けることが義務づけられている。ここに記された業績如何によって、その支部の翌年の経費割り当てと、支部長の処遇が決定されるのである。まさに支部全体の命運を握る書類というわけだ。
 で、そんな重要なものを、こともあろうに「がぁるはんと」に現を抜かしている間になくすという、前代未聞の不祥事をやってのけた男がここにいた。
「報告書の提出期限は明日なんだ……」
 沈痛な面持ちで、セダル。
「他の書類は、多少欠けたところで『あ、すいません、忘れてきました、あはは〜。至急、支部へ伝令を出して、届けさせます』で済むんだが……」
「……本当か?」
「……いや、言葉のあやというやつだ」
 バールスのツッコミを平然と受け流す美声年。この状況下にも関わらず、なかなかお茶目な男である。
「しかし、『決算報告書』に比べれば、他の書類などその程度の価値しかない、という点では、間違っていない。それほど重要なものなんだ、あの報告書は……」
「しっかし、女に気を取られている隙にそんな大事なもんをなくすとは、お主も大概愚かよのう。まるでヴァトルダーのようじゃ」
 傷口に塩塗る真似を平然と行うダッシュ。切れ者セダルにとって、これ以上の侮辱はあるまい。
「じゃが、そういうことならワシも一つ手伝ってやろう! ちょうど暇しておったし……」
「俺の方も、特に予定は入っていない。その書類探しとやら、手を貸してやる」
「あ、ありがたい……恩にきる」
 セダルは頭を下げて謝意を表明した。
「それで、提出期限ってのはいつなんだ?」
「明日……」
 低い声で答える。
「明日の夜だ。時間には妙にうるさいあの人のことだ、もし間に合わなければよくて減俸、悪ければ支部長解任……」
 わなわなと手を震わせるセダルに、ダッシュたちは思いやりの欠片もない台詞を発した。
「あ〜、ところで報酬じゃがな……他ならぬお主の頼み、2500ガメルほど手を打とう。もちろん成功報酬で構わんぞ」
「おう、俺もそれでいいぜ」
「お……お前ら……」
 セダルは、ヴァトルダーについていたはずの「いぢめられっ子の背後霊」が自分のところへ回ってきたことを、薄々感づき始めていた。

 空が青から茜色に染まる頃、三人はセダルが先ほどまでいた通りに立っていた。
「気がついたのは、この場所だ」
「ここでナンパしておったのか」
「ナンパなどと下司な言葉で言うな……ガールハンティングと言ってくれ」
 妙なところに拘るセダル。
「入り口からここまで、そう大した距離じゃないな……。それで、オラン入りしてからここへ着くまでに、どこをウロチョロしていた?」
「そうだな……」
 顎に手を当て、目を細める。
「まず、オランへ入るところで一人。次に大通りへ出たところで一人。彼女とは『栄華亭』で昼食をともにした。ずいぶんと喜んでくれたな……。それから、昼食後にまた一人……この娘とは、そこの『大波亭』でティータイムを……」
「……何を数え上げているんじゃ?」
「ふっ。今日の戦績だ」
 直後、セダルは二人に蹴り飛ばされた。
「何の話をしている、何の!」
「だから、今日取った行動だろうが」
 悪びれもせず答える。
「そのあと声をかけたのが最後の娘だから、オランへ入ってから行った場所と言えば、今挙げた二つの店と通りぐらいだ」
「むぅ……では、まずはその二件をあたってみるか」
 早速三人は、既に視界の中にあった『大波亭』へ入った。中は、夕食時に近いこともあり、かなりの人でごった返している。
「ここだ。この席に座った……」
 そのテーブルの一帯を調べてみるも、見つからないのがお約束というやつである。
 こういう場合はマスターに聞くのが常套……と気付いたのは、諦めて店を出てから十分後のことだった。
「さぁ……別に見てないがねぇ」
 マスターはすげなく言った。
「本当か?! 客が持っていたりはしなかったか?!」
「客の一人一人のことまで、覚えとりゃせんよ。誰かが持っていたかもしれんし、持っていなかったかもしれん」
 もっともである。
「ちっ……ではマスター、何かの拍子に書類らしきものが出てくることがあったら、オランの詰め所まで連絡をくれ。『バールスを出してくれ』と言えば、話は通じるはずだ」
「ばっ……バールスぅ?!」
 目を白黒させる主人を後目に、店を出る三人。
「さすがに名前が通っているな」
「ふん……名前が先走りしていると、言えんでもないがな」
 ……素行を見る限り、決してそんなことはないと思うが……。
 一行が次に向かったのは、もう一つの店『栄華亭』であった。
 この店の値段の高さは、もはや説明するまでもなかろう。ネットワークでも有数の収益を誇る、『上流階級の自己満足の場』である。
「おや、アリアン様……今夜もこちらでお食事ですか? 見たところ、お連れの方がお見えになりませんが……」
「別に、始終女性と食事に来る義務はないと思うんだが……」
 さすがに頬の端を引きつらせる。
「つかぬことを聞くが、昼間帰った後、何か席に残っていなかったか? こんな筒に入れてあったんだが……」
 セダルは別の書類が入った筒を見せてみたが、ウェイターは即座に首を振った。
「今日の所は、特に何も届けられておりませんが……何かの書類ですか?」
「ん? まあ、そんなところだ」
「案外、決算報告書なんかだったりして……」
「なかなかいい勘しとるの……うっ!」
 突然セダルに対して喩えようのない恐怖心が浮かび、ダッシュは黙りこくった。セダルがかけた<フィアー>のせいだとは、まったく気づきもしない。
「ま、まさか……ははは」
「そうですよねぇ。よりによってあんな大事なモノを、仮にもアリアン様がなくすはずありませんよね」
「と、当然だ。俺は、ラエンとは違うぞ」
「はは……」
 笑いかけてから、ウェイターは気まずそうに声のトーンを落とした。
「あの……今、ご当人があちらでお食事中ですが」
 彼が目で差すその先には、憮然とした表情でステーキを口に運ぶラエンと、さらにその奥にはティグの姿まであった。
 セダルと目のあったラエンは、いきなりニヤッと笑みを漏らした。反射的にセダルは視線を移すも、今度はティグと目が合う。
「な……う、嘘だぁっ!」
 頭を抱え込むセダルの名を呼ぶ声が聞こえる。
「セダルじゃないですか。もうオランへ着いていたんですね。さ、こっちで一緒に食事でもどうです? ついでに決算報告書の話でも……」
「はうぅ……」
 なよなよとダッシュに寄りかかり、うめき声を漏らすセダル。顔色がかなり悪い。
「? ??」
 一方のティグは、セダルの悶える理由がよもや自分だとはまったく思っていない。
「す……すまんがのぅ、どうやらセダルのやつ、気分が悪いようなんじゃ」
 さすがに見かねて、ダッシュが助け船を出した。
「おやおや……それはいけませんねぇ」
「さぁ、大丈夫かセダル……ではティグさん、わしらはこれで……」
「え、ええ……お大事に……」
 セダルに肩を貸して去りゆく一行を、呆然と見送るティグたちであった。

「助かった……礼を言うぞ、ダッシュ」
「なんの。これも仕事のうちじゃ」
 なかなか律儀なドワーフである。
「しかし、参ったな……手がかりがさっぱり掴めんぞ」
「ああ……本当に困った……」
「……セダルさんよ。俺たちに、まだ何か隠してないか?」
 鋭い目つきで、鬼検事がセダルを見据えた。
「うっ……な、何のことだ? 俺にはさっぱり……」
「嘘のつけん奴じゃのう。見え見えじゃわい。何を隠しておる? さぁ、きりきり吐けぃ!」
 ずずぃとダッシュが詰め寄った。その顔から滲み出る迫力は、両者の身長差をものせず、セダルを圧した。
「な……何も隠してないさ」
「う〜そ〜つ〜き〜」
「この期に及んで、下らん隠し事をするもんじゃねぇぜ。それとも、このまま黙り通して明日、首にされる方がいいのか?」
「う……」
 絶句するセダル。さすがにこれは効き目があった。
 渋々、本当に渋々、彼は白状した。
「わ……わかったよ……確かにもう一カ所、行った場所があったんだ」
 夜風が三人の間を吹き抜けていった。
「だが、今日はもう遅い。明日の昼、案内する……」

 そして翌日。
「むぅ……ここは……?」
「見ての通りさ」
「見ての通り……」
 ダッシュは、連れられてきたその場所をしげしげと眺めてから、
「ただの家にしか見えんのじゃが……」
「ああ。ここに知り合いが住んでいる」
 端的に答えて、セダルは扉を叩いた。
 少しの間をおいて出てきたのは、15,6歳と思しき少女である。利発そうな瞳と、赤のショートヘアが印象的であった。
「あ、セダル兄ちゃん」
「よう、エーリア」
「に、兄ちゃんだぁ?!」
 バールスは思わず目を瞬かせた。
「聞いてねぇぞ、そんなの!」
「言ってないさ」
 少女の髪をくしゃっと掻き混ぜながら、不満げに語る。
「別に、実の兄妹というわけではない。
 こいつの両親、モンスターにやられて半年前に死んでしまったのさ。その葬式に偶然出くわしてな。
 身よりもないってのに、放ってはおけないだろ? だから俺が、せめて生活費だけでもと思って……」
「……お主、なかなかいいところがあるのう……」
 心の底からダッシュは呟いた。
「じゃが、そういうことなら、別に隠し立てする必要もあるまいに……なぜ黙っておった?」
「……俺がこういうことをしていると張れたら……あのヴァトルダーと一緒のように思われるじゃないか……!」
 ……なかなか複雑な感情だ。
「そういうことなら安心せい。他の連中には、なるべく黙っておいてやるわい」
「できれば、マイリーに誓ってくれないかな」
「そ……それはちょっとできかねるが……大丈夫、約束はなるべく守る!」
 かなり信憑性に欠ける言い回しである。
「それよりも、今はほれ! 書類の方が先決じゃろうが」
「おっと、そうだった」
 セダルは、視線を少女エーリアの高さに落として尋ねた。
「昨日俺が来たあと、こんな感じの筒が落ちていなかったか? とても大事なものが入っているんだ」
「あったよ」
「本当か?!」
 曇っていたセダルの表情が、パッと明るくなった。
「頼む、すぐに持ってきてくれ」
「あ、あのね兄ちゃん……」
 彼女は、何か言いにくそうにモジモジしていたが、やがて意を決したようにこう答えた。
「昨日兄ちゃんが帰った後、それが床に落ちてるのに気付いてさ。絶対大事なもんだと思ってすぐに兄ちゃんを追いかけたんだけど、見つけられなかった」
「いや、だから書類は……」
「で、兄ちゃんが勤めてるって言ってた『クレイン・ネットワーク』に行けば渡せるんじゃないかと思って、急いで持っていったんだ」
「え゛……」
 セダルの顔から、赤みがスッと引いていった。
「受付の人に渡したら、中身を確認して『しょ、少々お待ち下さいっ!』って、すごいびっくりした顔で奥へ走っていってね。十分ぐらいしてから髭を生やしたおっちゃんが出てきて、『これは、ちゃんとセダルに渡しておくよ』って。その人、ネットワークのお偉いさんだって言ってた。だから安心して、そのまま渡してきたんだけど……あれ? 兄ちゃん?!」
 少女がセダルの様子に驚いて揺すると、その体は糸の切れたマリオネットの様にカックンカックンと動いた。
「……最悪じゃな」
「ああ……」
 その後ろで、二人の男は顔を見合わせ、ため息をついた。
『これで、報酬はパーか……』

 ダッシュとバールスに宥め賺され、セダルは泣く泣くクレイン・ネットワーク本部へ出頭していた。
「セダル、体の方はもう大丈夫ですか?」
「え、ええ……まぁ」
 ティグの言葉に、あいまいに応えるセダル。
 なお、ティグの執務室には、二人の他にラエンも控えていた。
「それはよかった。では、何を聞いても驚きませんね」
 その微笑みが、かなり怖い。
「まず、来年度支部で働く期間は、4ヶ月とします。異議はありませんね?」
「はい……」
 さすがにこの状況下で、NOと言えるほど図太い神経は持ち合わせていなかった。
「それから、給料は向こう一年間、20%カット……」
(こりゃ、経済的に結構厳しくなるな……)
「……しますが、この分はあなたの『妹』さんに回すことにしましょう」
「……はぁ?!」
 今回何度目かの素っ頓狂な声を上げるセダル。
「聞きましたよ、この決算報告書を届けて下さったのは、その娘だと言うことは。まっすぐないい娘らしいですね。ラエンが褒めてましたよ」
 横を見ると、ラエンが笑顔で肩を竦めて見せた。
「……すまん……」
「罰は罰として受けていただかなければなりませんが、私だって鬼じゃありませんからねぇ。ま、彼女のためにもせいぜい頑張りなさい」
 ティグの言葉に、カゾフ支部長は深々と頭を下げた。
「で──それはさておき……」
 最後に、悪戯っぽくこう付け加えるところが、ティグである。
「まるでヴァトルダー君みたいなことをしますね。ねぇ、セダル?」


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