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歴史の陰に消えゆく者・5

「く……くくくく……くははははっ!!」
 腕輪を携えて戻ったグラスランナーに、テザムは会心の笑い声を上げた。
「これだ……これを長い間、待っていたのだ!」
「ようやく時が来たな、テザム」
「御意!!」
 『猊下』アーザンの厳かな言葉を受け、テザムは力強く立ち上がった。そして眼前に控えるベイドル教徒に檄を飛ばす。
「時は来た! 我らの悲願が叶うときが訪れたのだ。
 明日の夜、我らが偉大なる主・ベイドルが復活する!!」
 高々と腕輪を掲げ宣言するテザム。それを受け、ベイドル教徒の間で歓声が上がった。そんな様子を『最大の功労者』フィップは虚ろな目で見つめている。
 このグラスランナーの精神は何処へ消えてしまったのだろうか。かつて無邪気な──と言い切ってしまうと若干の問題無きにしもあらず、だが──笑顔を浮かべていたその顔からは、もはや生気すら感じられない。
「クレインの手の者が、畏れ多くもベイドルの復活を阻止せんがため、必ずや明日までに襲撃してくるであろう。
 よいか、全ては明日の夜! 何があろうとも、それまでは持ちこたえるのだ。これは唯一にして絶対の命令である!!」
 先ほどにも負けぬ歓声が上がり、ベイドル教徒はそれぞれの持ち場へと散っていった。あとに残ったのは、猊下アーザンとテザムと彼らに仕える数名の側近、そして──
「ん、なんだ。まだ何か用でもあるのか?」
「……僕は、何をすればよいのでしょうか……」
 か細い声で、今やベイドル教の奴隷と化したフィップが問うた。
「ふん……では、クレイン一味の襲撃に備えてここで待機しているがいい。ベイドル復活までは存分に役立ってもらおう」
「わかりました」
 淡々と答え、彼は立ったまま壁にもたれ掛かった。それきりまったく動作する様子を見せない。
(バーシャも、最後の最後になっていいモノを連れてきたものだ。あやつと互角の腕を持ち、しかも決して反抗などしない。最高だ……)
 一人ほくそ笑むテザムには、横に座るアーザンの表情などまるで目に入っていなかった。
 これまでまるで感情というものを見せなかった『猊下』の顔が、残忍な笑みへとその形を変えつつあったのである。

 ベイドル教の本部である洞穴からほど近い森の中に、今後の方針で頭を悩ませる一団がいた。
 ラエン、リーハ、セダルのクレインネットワーク三大幹部に、御曹司のセイン、そしてネットワークとはあまり関係のないローゼンと、全く関係のない『黒覆面』バーシャ。この変則集団は現在、さらに二つの小集団に別れている。
 ラエン、ローゼン、バーシャによって構成されている一派と、セイン・クレイン、バーシャによって構成されている一派である。
「だから! 目的もはっきりしているんだから、このまま一気に乗り込んで、叩き潰せば終わりだろ?! 時間だってそんなにないんだからよ!!」
「駄目ですっ! 何度言えばわかるんですか。相手の戦力からして、私たちの方がどう考えたって不利なんですよ! 断固、ティグ様の到着を待つべきですっ!」
 ラエンの主張をリーハがバッサリ斬り捨てる。この無意味な押し問答が、先ほどから延々続いているのだ。
「こ、この強情者っ! そんなだから、その年になっても結婚できねぇんだっ!」
「な……なんですってぇ?!」
 ヒステリックな叫び声が静かな森に木霊する。その大音量に驚き、羽を休めていた鳥たちが群れをなし飛び去っていった。ローゼン達は顔を見合わせて肩を竦め合う。
「あ〜あ……触れてはならないことを……」
「あなたみたいな、とっくに三十過ぎた『ひげおやぢ』なんかにそんなことを言われる筋合い、ありませんわ!」
「ひ……ひげおやぢだと?!」
「あ〜、わかりましたわ。あなた、いつも幹部会議でさんざんやり玉に挙げられているから、その腹いせですわね!」
「て、てめぇリーハっ! お前なんか──」
「話が逸れ過ぎだな……」
 罵詈雑言の応酬に顔を引き吊らせながら、ローゼン。
「そもそも、リーハさんが行くのを拒んだ理由って『麻薬のことを言えば各神殿の絶大な協力を得ることができるから』じゃなかったっけか? 俺は、時間がかかるからってその意見を否定したけど……」
 ベイドル教団と麻薬の繋がりが明らかになれば、マーファ神殿を筆頭に各神殿が神官戦士を送り込んでくれるのは間違いない。しかし今からロマールへ戻っていたのでは時間がかかり過ぎるし、そもそもロマールで大した戦力が手に入るとも思えない。
「なあセダル……これ、そろそろ軌道修正をかけないと収拾がつかんぞ」
「そうか。割と面白い見せ物だから、もうしばらく見ていたかったがな……」
「……おいおい……」
「冗談だ」
 真顔でローゼンをあしらい、どちらの考えにも与していなかったセダルはギスギスとした空間に割って入った。
「いい加減にしないか、二人とも。お前らの痴話話を披露してもらうために時間を割いているわけじゃないんだ」
 先ほど彼がバーシャにとった行動が頭に残っているせいもあるだろうが、意外と素直に二人は口を閉ざした。そんなやり取りを見て、頭を押さえた男がいる。
「もしかして、俺はお前達というものを見誤っていたのだろうか」
「気のせいです。そういうことにしておいた方が、お互いのためだと思いますよ」
「……そうか……」
 淡々としたセインの答えに、黒覆面はため息を漏らした。
 まあいい、どのみち母さんを助け出すまでの付き合いだからな……。
「とにかく俺は行くぜ。それがそもそもの目的だからな」
「そういえば……」
 と、まだ険悪な雰囲気を残したままにリーハが尋ねる。
「ラエン、あなたどうしてここにいるんです?」
「あ、言われてみればそうだ。戦闘のどさくさに紛れてすっかり忘れてたけど、なんでこんなとこにいるんだよ」
「なんだ、ティグさんから聞いて来たんじゃなかったのか」
 呆気にとられるラエン。
「わかった……じゃあ説明してやる。それを聞けば、リーハも行く気になるだろう」
 むくれた表情のリーハを一瞥してから、彼は数日前に主ティグから受けた命を話し出した。

 黒覆面を除いて、顔色を変えなかった者は皆無だった。とりわけリーハにはそれが顕著に現れていた。
「ドラゴンですって……そんなものが復活なんかしたら、大変なことになるわ!」
「うはははは! だから『時間がない』と言っただろうがっ!」
 勝ち誇ったように(いや、実際勝ち誇っているのだが)ラエンはリーハを見下ろした。そんなラエンも目に入らない様子で、リーハは拳をギュッと握りしめて決意を口にした。
「行きましょう! ベイドル教徒の野望を潰すために!」
「そ、そんなぁ……リーハさん、さっきまでは『やめましょう!』って言ってたじゃないですか……危険ですよ、きっと」
 そんな彼女に、泣き出しそうな顔で最年少のセインが訴えた。リーハが意見を翻してしまえば、一行はこのままベイドル教団の総本部へ突撃することになってしまうのだ。
「じゃあセイン、お前さん一人で帰るか?」
「え゛……? そ、それはちょっと……」
 鬱蒼とした森の中をたった一人歩く状況を想像し、思わず身震いする。不承不承、セインも折れた。折れざるを得ない。
「一人になるくらいなら、まだ皆さんと一緒にいる方がましですよ……」
「よし、決まりだ」
 誰からともなく腰を上げ、武器を手に歩き出す。
「ああそうだ、リーハ」
 先頭を歩きながら振り向きもせず、ラエンが真後ろのリーハに小声で囁いた。
「この一件が無事片づいたら、お前に言いたいことがあるんだ……。期待せずに待っていてくれ」
 先ほどまで舌戦を繰り広げていたことなどどこ吹く風、ラエンは表向き平然とした調子で彼女にこう告げたのだった。

 夕刻近くになって、ようやくティグ・フィー・クレインは動いた。
「俺も連れていってくれよ、ティグさん!」
 縋るような目で見つめるヴァトルダー達三人を、ロマールへ通じる『門』に手をかけたティグはやんわりと制した。
「今のあなた方がついてきても、失礼ながら足手まといにしかなりません」
「そりゃその通りだが……言いにくいことを平気な顔して言うんだからな、この人は……」
「気にしちゃいかん。いつものことじゃ」
 顰めっ面のヴァトルダーの背中をダッシュがポンと叩いた。叶うならば肩を叩いてやりたいところだっただろうが、悲しいかなドワーフでは、長身のヴァトルダーの肩に手を届かせることができない。代わりに、こちらはエルフとしては身長的に恵まれているダルスが肩に手を回した。
「ティグさんは、我々に残って修行に励めと言っておるのぢゃ。さあ、皆で仲良く精進──」
「しねぇよ」
 間髪入れずに即答されて寂しげに肩を落としたダルスを鄭重に無視し、ティグは話を続ける。
「それよりは、ここに残っていただいて屋敷の警護にあたって戴きたいのです。負傷したレンディ君もそうですが、メノやソローちゃんのことも残していくのはやはり気になりますからね」
「ふん……筋は通ってるな。仕方ない、今回はあんたに乗せられてやるよ」
 ニヤリと笑みを漏らしたヴァトルダー──かなり無理のある笑顔ではあったが──に微笑み返して、ティグは『門』へと入っていった。
「──あ、そうそう」
 半身を虹の光芒の中へ沈めた状態で、不意に彼が振り返る。
「私にもしものことがあった場合は──あくまで、もしもですよ──クレイン・ネットワークの指揮権は、リーハかセダルに委ねて下さい。セインは……まだ子供ですから」
 フッと寂しげに笑うと、ティグは今度こそ完全に消え去った。
「なあ……どう思う、今の言葉」
 当惑した面持ちでダッシュに尋ねかけるヴァトルダー。
 長い付き合いの中でも、こんなティグの言葉は初めてだった。常に自信に満ち溢れた彼から発せられたとは思い難いものだ。
「そうじゃのう……こう言うと不謹慎ではあるが──」
 舌舐めずりをして、ダッシュ。
「まるで死を覚悟したかのような、悲壮感が感じられたのう……」
 憂鬱な気分を吹き払うかのようにドワーフは頭を振り、ティグ邸屈指の広さを持つ応接間へと引き上げていった。ヴァトルダーは何か考えるように『門』を見つめていたが、すぐにダッシュに倣った。
 改めて語るまでもないことだが、残されたダルスは薄明かりの中で一人精神修養に励んだ。結論から言えばその夜に襲撃はなかったから、それでよかったのではあるが……。

 夜。その日は夜間唯一の自然光である月すらも雲が覆い、ベイドル教団本部一帯はいくつかの松明が生み出す光の他は何もない。そんな状況であった。
 来るべき時に備えて教徒が詰めている教団本部は、それに見合うだけの警備体制が敷かれている。幾人もの教徒が教団本部である洞穴の付近を固めている。
 そこへ松明でも、ましてや月でもない第三の光が投げ込まれた。赤々と燃えさかるそれは、火の粉を撒き散らしながらベイドル教徒へ襲いかかる。
 爆音を上げて火球が炸裂したそのあとには、皮膚を焦がれて苦悶する教徒の姿があった。
「よし、行くぞっ! 作戦はさっきの通りだ!!」
 戦士の号令一下、6人の男女は身悶える『敵』を尻目に教団本部への突入を敢行した。ラエンを先頭に、彼らはまっすぐ奥の目的地を目指して、走る。
 黒覆面バーシャの話に寄れば、洞窟は最近──といっても十年単位の話になるが──行われた遺跡発掘によってできたもので、終着地点は言うまでもなくその遺跡である。遺跡へ到達するまでには幾度となく掘り直しが行われており、それが現在教団施設の一部として利用されているらしい。
「そこを左! まっすぐ行けばそこが教団総本部だ!」
 黒覆面の声に弾かれるように、全員が進路を左へ取った。曲がり際に直進路へ<ライトニング>を打ち込むことも忘れない。
「さっすがティグさんの息子だな。将来、いい魔術師になるぜ」
「いつかはあの父さんも越えてみせますよ」
 正面を向いたまま飄々と答えるセイン・クレインの中に、ラエンは一瞬ティグ・フィー・クレインの影を見た。セインは紛うことなく、あのティグの息子だ。遙かに弱くはあるが、父親の放つ光彩と同じものを彼は持っていた。
 教団総本部との距離に反比例して、教徒達の人数も増加してくる。ラエンは端から剣しか才がないとして、リーハは魔力を温存する方向で肉弾戦主体の攻撃を展開していた。魔晶石とて数には限りがある。ローゼンとセダルもそうしたいところではあったが、彼ら二人の戦士としての能力はリーハに比べると一段落ちる。こんなところで負傷していてはそれこそ手間が増えるだけだから、セインともども近接戦闘は他の3人に任せ、ただついていくのみに専念していた。
「あれだ! あの部屋が総本部、ベイドル教団の中枢だ!」
 6人は迷うことなく、一斉に部屋へ飛び込んだ。
「何ぃ?!」
 部屋の中にいたのは、『猊下』を始めとする教団上層部の面々ではない。否、教徒ですらなかった。そこにいたのは──
「フィップ?!」
「……ということは、ここにいる連中はまさか……!」
 そう言ったきり、セダルが口を閉ざしてしまった。彼が飲み込んでしまった言葉を、フィップが続ける。
「そう……ここにいるのは、みんな麻薬に心を奪われた人間だよ。君もこっちにおいでよ、ローゼン……こんなに清々しい気分になれるんだよ」
 抑揚のない口調で語られるフィップの言葉に、壁際に並んだ生気なき人間の群れが頷いた。
「全てはベイドルのために……この身を捧げるんだ。さあ、おいでよ……」
「やめろぉっ!!」
 頭を抱え、ローゼンが絶叫した。
「ローゼン君……」
「畜生……ベイドル教団の野郎……フィップを、こんな姿に変えやがってぇ……!!」
「落ち着け、ローゼン!」
「畜生……畜生っ!」
 『信仰心皆無の神官』『名ばかりの司祭』仲間内から冗談混じりにそう揶揄されているローゼンの目からは、涙が溢れ出していた。
「ちっ、これじゃ人質を向こうに取られているようなもんじゃねえか!」
「ああ。しかも俺たちに敵意を抱いている人質だ。元は教団と無関係な人間だけに、下手に手出しはできんしな……厄介なことだ」
 舌打ちするラエンの思考をセダルがフォローする。
「かといって、このまま黙ってみていてもどうにかならん……さてどうするか……」
 頭を悩ませるかつての仲間すら目に入らないかのように、フィップがダガーを手に取った。
「ねえ、そっちからこないんだったらさぁ……こっちから言ってあげようか?」
 言うが早いが、地を蹴って苦悶のローゼンに襲いかかる。
 キィン!
 その刃は、すんでの所でショート・ソードに受け止められた。
「ここは俺に任せて、お前達は出ていけ!」
「黒覆面?!」
 刃と刃を交えた二人は大きく飛び退った。次にフィップが攻撃してくるまでの間を縫って、黒覆面がラエンに問いかける。
「お前、確か神殿の遺跡まで行ったことがあると言っていたな?!」
「おうとも! だが、それがどうした?」
「そこへ行け。そこに、ベイドル教団の黒幕連中はいるはずだ!」
 フィップから視線を外さずに、黒覆面。
「アーザン『猊下』のいる場所といえば、ここか、そこしかなかった! ここにいないとなれば、場所は他に考えられん!」
「わかった……だが、お前は?!」
「心配するな……自分の犯した過ちを、自分自身の手で償うだけだ」
「フィップは、フィップは殺すんじゃないぞっ!!」
 普段の彼ならいざ知らず、他の人間の命など今のローゼンにはそれこそ「無用のもの」だった。たとえそのことで「ファリス神官失格」の烙印を押されてもやむを得ないだろう。彼はファリス神官である以前に、一介の人間なのだから……。
「善処はする。責任は持てんがな」
「さあ、急ごう! あの野郎の行為を無駄にするな」
 ラエンに促され、ローゼンは拳で乱暴に涙を拭った。そしてフィップを見ると、そのままきびすを返した。
 別に、今更正義面しようというわけではない……。
 以前より遙かに力を増したグラスランナーと対峙して、黒覆面は思う。
 ただ、俺なりの価値感がこのままであることを良しとしないのだ。所詮はそれだけのこと……。
 彼は鼻で軽く笑った。それが誰に向けられていたのかはわからない。
 そして二人は動いた。再度戦いの幕を開けるために。

「ラエンが気を利かせたとも思えませんが、エキュ君が近くにいて助かりましたよ、ホント……」
 これでもかと吹き付ける風に縮こまって、クレイン・ネットワーク総裁は独白した。<フライト>の呪文で一路ノミオル湖を目指していた彼の目にワイバーンの姿が飛び込んできたのは、つい今し方のことである。
 エキュを操るための腕輪はラエンの手元にあるため、うまく彼をコントロールできるかのみがティグの懸念事であった。しかしどうやらそれも取り越し苦労のようだ。背上の人間の期待に応え、エキュは着実にノミオル湖への距離を縮めつつあった。
「事ここに至っては、今更身を隠して近づく必要もありませんからねぇ……」
 この二、三日に怒濤の如く押し寄せた数々の出来事は、ある程度予想可能だったとはいえ人生経験豊富なティグ・フィー・クレインにとっても驚かされるばかりだった。劇的と言ってもまったく過言ではない。
 おや……?
 急に、彼の視界に光が現れた。地上の彼方に点在して見える弱々しい光ではない。それは、雲間から顔を除かせた月光だった。
「……あ、あれは……!!」
 突然背中から聞こえた叫び声に、エキュが驚いて首を激しく振った。そんな彼を慌てて宥めながら、ティグは激しい自責の念に駆られていた。
「何て事……一日読み違えてしまったとは……! これは、私の人生最大の誤算かもしれませんよ……っ!!」
 彼の唇から、一筋の紅い滴が伝って落ちた。


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