インデックスへ戻る

暴走する妄想

 裏通りを走る二つの影があった。
 前を走っている方──女性、年格好は20歳前後──は、どうやら後ろの人間から逃げているようだ。いわゆる「町娘」といった出で立ちでどこにでもいるような服装ではあるが、顔立ちは極めて整っている。例えばヴァトルダーであれば一発で声をかけるような、そんな容姿だ。
 一方、彼女を追っている方は背が高く、足が地につく度にがちゃがちゃと音を立てている。冒険者らしく、金属鎧を身に纏っているのだ。重装備でありながら、前を走る女との距離は開くどころか見る見るうちに狭まっていく。
 表通りを目前にしたところで、遂に女は捉えられた。
 だが、彼女の発した悲鳴は表通りの通行者の気をさすがに引いた。裏通りに向かってみるみるうちに衆目の視線が集まっていく。
「ふっ、いきなり悲鳴を上げるなんて酷いじゃありませんか。私は単に、君とお近づきになりたいだけですよ」
 馬鹿丁寧な口調で、追跡者は女の体を引き寄せた。
「き……き……きゃあああっ!!」
「大丈夫かっ?!」
 中に踏み込むのを躊躇する通行者の中から、一人の男が乗り込んでくる。がっしりとした体格と鋭い眼光を持つ彼は、ずかずかと二人の元へ歩み寄ると力づくで引き剥がした。
「て……てめぇ、何しやがる!」
「それはこっちの台詞だ! まったく、白昼堂々ふざけた真似を! 来いっ、貴様を連行する!」
 薄暗い裏通りから、無理矢理引きずり出す。
「少しは常識ってものがないのか? 仕事もせずに昼間っから……」
 表通りへ出て、お互いの顔が光の中に晒された。途端に絶句する男二人。
「ば、ばぁるす……」
「う゛ぁ……ヴァトルダー……」
 二人の顔に、異なる色の驚きが浮かんだ。一方は怒りを、もう一方は怯えを含んで……。

「それでヴァトルダー、そんな痣をつくったわけ?」
 ムスッとした顔で事の次第を語った赤毛の男を、惚けたように見上げるフィップ。
「やっぱヴァトルダー……馬っ鹿じゃない?」
 一瞬の後、鈍い音とともにフィップは机に突っ伏した。
「ガキに言われる筋合いはない!」
「ひょっひょっ……図星を突かれて動揺しておるようぢゃのっ」
 次の瞬間、軟体エルフは宙を舞った。
「変人に言われる筋合いもないっ!」
 ローゼンとダッシュは傍観を決め込んでいる。ヴァトルダーの理不尽な怒りに触れるような『愚』は冒さない腹づもりのようだ。それが正しいかどうかはまた別次元の話として、痛い目だけは間違いなく見ずに済む。
 抗弁するものがいなくなってから、ヴァトルダーは肘を突いてほうとため息をついた。
「それにしても可愛かったよなぁ……久々に、俺の好みに会う娘だったのに……」
「だからといって、無理矢理手を出すのはどうかと思うがね」
「まぁだこの俺に難癖つけるか!」
 振り翳した拳はしかし、目標の眼前で止まった。
「お、親父か……悪い悪い」
「そう思うなら、ここで寝ているフィップをどうにかしてくれんかね?」
 両手に料理皿を持ったまま目で指すマスターの言葉に従うヴァトルダー。さすがの彼も、無関係な(というには少々関わり過ぎてしまったが)一般市民に手を出すには至っていない。そこまで行ってしまえば、あとは十三階段……もとい絞首台へ向かってまっしぐらなのであるが。
 彼は猫の子を触るようにフィップの首筋を掴むと、椅子の背もたれにもたせかけた。そうして空けられた空間に、マスターがテキパキと遅めの昼食を並べていく。
「お〜し、じゃあ食うか」
 ヴァトルダーが野菜サラダ(最近彼は『へるし〜志向』なるものに目覚めたらしい)にフォークを突き立てたその時、店の扉がバタンと開け放たれた。
「……なんだ、バールスか。さっき着てた上着はどうしたんだ? そうか、さては溝にでも落ちたな」
 先ほどこってり絞られたこともすっかり忘れて茶化すヴァトルダー。その肩をローゼンが二度三度叩いた。
「お、おいヴァトルダー……なんか様子が変だぞ」
 憤怒の形相のバールスをさすがに見咎めての忠告であったが、少々遅すぎた。いや、無意味だったと言うべきか──。
「ヴァトルダーよ……てめぇ、とうとうやっちゃならねぇことをやりやがったな!」
 そう言って店内へ一歩踏み出す鬼検事。その剣幕には、さしものヴァトルダーですら威圧感を覚えた。
 前進したバールスの陰から、彼の上着を纏った一人の少女がおずおずと顔を出す。目には涙が浮かび、巡察官の制服の下からは破れた服がちらちらと見えている。
「あ、その娘はさっきの……」
「そうだ! てめぇがさっき『ヤッた』娘だ!!」
 店内にいた客という客の視線が、極寒の冷気を伴ってヴァトルダーただ一人に降り注いだ。フィップとダルスもいつの間にか復活して、白い目を向けている。
 ただ一般と違うのは、皆の抱いた感想が『あの人がなぜそんなことを?!』ではなく『ああ、とうとうやっちまったのか……いつかはやると思ってたけど』だったことであろう。
「ぱ、パパ……さいて〜」
「ヴァトルダー……わかっちゃいたが、やはりそういう奴だったか……」
 ソローやローゼンの言葉に、ダッシュ達が『然り』といった面持ちでうんうんと頷く。
「くぉら、お前ら!
 おいバールス、俺は何も知らん! だいたい、さっきあんたに絞られたあと、俺はまっすぐここへ帰ってきたんだ!」
「嘘をつけぇ! 解放したあと、彼女のことを恨みに思って襲いに行ったんだろうが!」
「知らん、知らん、俺は何も知らんっ!!」
 渾身の力を込めて頭を振るヴァトルダー。
「ふん、では聞こう。お前は先ほど俺に解放された後、彼女を路地裏で羽交い締めにしたあげく『ヤッた』。そうだな?」
「違うっ! 俺はヤッてなんかいないっ!」
「ふ……ふははは! 早くもボロを出したな、ヴァトルダー!!」
 してやったりと、会心の笑みを浮かべるバールス。
「そう、その通り! 彼女は『ヤられる』寸前、必死に犯人の手から逃げ出した。つまり婦女暴行『未遂』だったわけだ。
 これは俺とこの娘、そして犯人の3人しか知らん。その事実を知っているということは、これすなわち貴様が犯人である証拠よっ!!」
「ちょっと待てぇぇ!!」
 ヴァトルダーは悶絶した。そもそも根本的に間違った三段論法なのだが、一見しただけでは正しそうに見えてしまうだけに困ったものである。しかもなお悪いことに、今のヴァトルダーにはその誤りを指摘するだけの知力も冷静な判断力も備わっていなかった。
「そろそろ年貢の納め時だな……覚悟してもらおうか、ヴァトルダーよ」
 凄絶な笑顔で、バールスはじりじりと近づいていった。

「やれやれ……あいつと付き合いだしてからかなりになるけど、とうとう『檻』の中の人になったか……」
「うん、思ったより長かったね……」
「まったくじゃのう。ロマールでもなんぞやらかしたと聞いておったし、もう少し早いと思うておったが……」
「ヨガっ」
 思い思いに好きなことを言ってのけるパーティメイト。このことを当のヴァトルダーが知ればどうなるか。それは読者諸氏の想像力にお任せするとしよう。
「ちょっとちょっとみんなっ! 少しはパパの心配を……」
「──さて、冗談はこのくらいにしておいてだ」
 あまりの薄情さに耐えかねて抗議の声を上げたソローの言葉を遮り、ファリス神官が立ち上がった。
「そろそろ行こうか、情報集めに」
「……ローゼンさん?」
「ま、あいつは確かにああいう奴だけど、ここまで無茶をするとも思えないしな……それに一つ『貸し』を作るのも悪くない」
 目を潤ませるソローの横を通って、フィップ達が表へ出ていった。どうやら同じ腹づもりだったようである。
「ソローちゃんはここで待ってるといい。またこの間みたいに『ヤバい連中』に捕まったら大変だしな」
「うん……ありがとう」
 出際に右手を振って応え──入り口で同じく手を振り『見送っていた』ダルスの襟を引っ掴んで──、最後尾のダッシュに続きローゼンも店を後にした。
「しっかし……もしこれで『実はヴァトルダーが犯人』だったら……」
 そこで言葉を切ると、ローゼンはフッと複雑な笑みを浮かべて仲間と共に現場へ急いだ。

「うおお〜、俺は無実だあぁ〜〜〜っ!!
 出せ! ここから出してくれ〜っ!!」
「あれ、何とかして下さいよ。これじゃ落ち着いて茶を飲むこともできません」
「しばらくすればあいつも諦めるさ。それまでの辛抱だ」
 留置場の番人の言葉を軽く受け流して、バールスは出された茶をずずっと啜った。
 うまい。一仕事終えたあとの一杯は、やはり格別だ。これが酒ならなおよかったのだが……
「しかし、彼は本当に犯人なんでしょうか? あそこまで意固地になって無実を訴える輩も珍しいですが……」
「さあな」
「さあな……って、そんな無責任な……」
 さすがに思うところのある門番を、バールスが手で制して説明する。
「一応証拠もないわけではない。目撃証言に彼女の証言を加味すれば、『赤毛』『背が高い』『戦士風のなり』というのが大まかな犯人像になる」
「しかし、それだと……」
「うむ、まるで不十分だ。俺も普段なら『他人の空似』で済ませていただろう。せいぜいが任意同行止まりだ」
「では、今回はどうして?」
「それはだな」
 よくぞ聞いてくれたとばかりに、胸を張ってバールスは答えた。
「年の瀬だったからだ」
「…………は?」
 門番ならずとも、首を傾げたくなる回答だろう。
「年の瀬だ、と・し・の・せ。わからんか?」
「いえ、『年の瀬』の意味するところはわかりますが、それのどの辺が逮捕の動機なのかは皆目……」
「簡単なことだ。年の瀬ともなれば、嫌でも事件は増える」
「はい」
「必然的に、我々の仕事も増えるわけだ。であれば、解決できそうなものはさっさと逮捕しておくに限る」
「……もしかして、それが『ヴァトルダー、見切り逮捕』の理由ですか?」
 少々不安なものを感じて、おずおずと尋ねる門番。
「いや。それだけではない。他人が年の瀬でくそ忙しい時に悠々とナンパに明け暮れる男が目の前にいた場合、君ならどう思うかね?」
「そりゃもちろん……腹が立ちますね」
「そうだろうそうだろう。
 で、だ。よりにもよってヴァトルダーは、事件の直前にこの俺の前でそういう場面を見せつけてくれたわけだ。ここはやはり、それ相応の『お礼』をせねばならんだろう?」
「な、なるほど……そこまで深い『理由』あっての逮捕でしたか」
 得心いったとばかりに、門番が晴れやかな笑顔を見せる。理不尽には違いないが、世俗の風は確実にバールスへ追い風として吹いている。
「実のところ、あの時は『彼女』の訴えを無下に断るのが余りにも憚られたんで、後先考えずに連行した。下手に応じれば自殺しかねんほど思い詰めた様子だったからな……」
 後ほど彼はローゼン達に対し、この時のことを振り返り斯様に語っている。つまりヴァトルダーをして、名も知らぬ町娘の気を静めるための『人身御供』たらしめたわけだ。わざわざこのように話したからには、やはりさしもの『鬼検事』バールスにも良心の呵責があったのだろう。
 一方、一般向けには次のように公言している。
「私の心は、彼を信じたいという友人としての思いで溢れんばかりであった。しかし、まったく持って残念なことに、彼ヴァトルダーにはアリバイがまるでなかったのである。結果、私は私情を殺して友人たる彼を逮捕するに至らざるを得なかった」
 第三者の観点による批評はさまざまであろうが、ともかくバールスがヴァトルダーを逮捕したというのは紛れもない事実だ。
「だが、逮捕はしたものの、証拠不足なのは確かだからな。現時点での尋問は避けるべきだろう」
 これは「なぜ尋問を行わないのか」という門番の率直な疑問に対するバールス氏の回答である。本来三度の飯より拷問──もとい尋問──好き、半ばそれを生活の一部としている彼が今回に限って手を出さずにいた理由はこれだったのだ。
 冤罪にも関わらず強引に吐かせようとしたとあっては、よくて降格、下手をすれば首が飛ぶ。
 ことヴァトルダーに限って言うと、叩けば埃ならぬ『余罪』の一つも出てきそうなものだ。しかしそれにしても今手を出すのは時期尚早である。
「それに……」
 絶叫の続く『檻』をちらりと見やってバールスは言ったそうだ。
「ここのところ、少々暴走し過ぎている感があるからな。今回の逮捕は、いい薬になるだろうさ」

「ジェニー、ちょっといらっしゃい」
 戸口から聞こえた母の声に、彼女は奥の部屋から生返事した。
「何よ、お母さん。用があるなら後にしてくれない?」
「早くいらっしゃい。ファリスの司祭様がお見えになっているのよ」
 『彼』は正確には司祭職についていない。しかしこれは先方の誤解なので、こちらには責任がないだろう。噂に尾鰭のついた一つの結果である。
 読者諸氏のご想像通り、ローゼン・スレードが『ファリスの名の下に』事情聴取に訪れたのだった。
「あなたに手を出そうとしたヴァトルダーという男は、私の友人でしてね。いわゆる腐れ縁という奴ですが……」
 部屋へ通されて椅子に座るなり、ローゼンは話を切りだした。
「彼の言うところでは、最初に手を出したことは認めたものの、二度目にあなたを『襲った』方は頑として否定しているんですよ。まあ、あなたもあの場には居合わせたからわかるでしょうけど……」
「……はあ……」
 『被害者』ジェニーは曖昧に応える。
「はっきり言って信用ならない男なのは確かです。しかしあの状況──バールス氏を前にした、あの状況です──において、それでもしらを切られるほど、肝の据わった男じゃありません」
 ローゼンなりに弁護しているつもりなのだが、ついついいつもの癖──悪癖の部類に入るだろう──で貶してしまうところが悲しい。
 一方のジェニーはというと、困惑した様子でローゼンの次の言葉を待っている。
「ジェニーさん……と仰いましたね。二度目に襲ったのは、本当にあの男だったんですか?」
「え、ええ……きっとそうですわ」
「本当に? 間違いなく?」
 身を乗り出して尋ねるローゼンに呼応するように、彼女は視線を母親の方に転じた。
「司祭様。娘もこのように申しております。きっとその男が犯人に違いありません」
「……神聖魔法というものを知っておられますか?」
 スッと目を細めて、金髪の神官は話題を変えた。
「我々神に仕える者は、その神の御力によってさまざまな奇跡を起こすことができます。それが神聖魔法です。
 さて、ご存じの通り私はファリスに仕えているわけですが……」
 ローゼンの演技がかった口調の裏にあるものを、娘は感じ取った。「嘘をついても、私にはそれを見抜く力があるのですよ」彼の目が、声が、そう語っている。
「──もう一度お伺いしましょう。本当に、二度目に襲ったのもヴァトルダーなんですね?」
 強まった語気の前に、それ以上否定し続ける術を娘は知らなかった。
「ご……ごめんなさい! あたし、本当は二度目の人はちゃんと見てないんです!」
「ジェニー?!」
「お母さんごめんなさい! あたし、あの時……気が動転してて、バールスさんが来て何か尋ねた時に、よくわからないまま頷いちゃったの! そしたら宿屋に連れてかれて、そこにあの男の人がいて……言い直そうとしたけど、怖くて言えなくて……」
「そうですか……よく正直に話して下さいましたね」
 震えて泣きじゃくるジェニーの肩を優しく撫でてやりながら、内心安堵するローゼン。実はちょっとばかりはったりを掛けていたのだ。
 魔法に知識ある者であれば──一般人にはさほどいないはずだが──わかっただろう。「嘘を見抜く魔法」すなわち<センス・ライ>は、ローゼンの得意とする神聖魔法ではなく、古代語魔法に属しているのである。呪文としては割と高度な部類に入り、ダルスが辛うじて使うことができる。
 もっとも<センス・ライ>が必要な状況になるとは想像していなかったし、そもそもこのような場にあのエルフを連れてくるのは論外である。そんなことをすれば、さすがのローゼンの名声──一人歩きしている「あれ」──を持ってしても、信用を得ることなどできない。不測の事態を懸念して、フィップやダッシュすら置いてきているのだから。
 このような経緯の元、はったりを掛ける羽目になったのだが、結果としてうまくいったのだから良しとすべきだろう。
(ったく、こんなオチじゃないかとは思ったんだが……相手が『あれ』じゃなかったら、一発殴ってやるんだがなぁ……)
 実力では確実に上回っていながら、過去から引きずっている劣等感はそう簡単には拭いきれないものだ。
「それで、その犯人の姿は? 覚えている範囲で結構です、教えていただけますか」
 一見「良心の固まりのお兄さん」に促され、少女は記憶に残っていることをぽつぽつと話し出した。
 その断片からローゼンの脳裏に描き出された人物像は──。

「セダルだ」
 待っていた仲間と合流するなり、ローゼンは重々しく告げた。
「……へ? ローゼン……気は確か?」
「ヴァトルダーと一緒にせんでもらおう」
「いや、だって……頭の程度は似たようなもんだし」
 鈍い音がして、程なくフィップの頭に二つ目の瘤ができた。
「きっとそうだ、間違いない。彼女曰く、犯人は茶褐色の髪で目つきの鋭い二枚目だったそうだ」
「そんな人、ごろごろいると思うけど……」
「まだあるんだ。その犯人の服に、クレイン・ネットワークのバッジがついていたらしい」
「そんなの、どこにでも転がって………………」
 言いかけて、口の中で何やらもごもごと繰り返すフィップ。
「のう……それって、既に犯人は絞り込めたも同然じゃなかろうか?」
「そうだよねぇ……セダルじゃないにしても、『クレイン・ネットワークの中で髪の色が茶色の人』なら……」
 フィップの「セダルじゃないにしても」の件で、ローゼンがくわっと目を見開く。
「ちちちちちっ! セダルなんだ! そう、犯人はセダルなんだよ! それ以外にあり得ないっ!!」
「……なんでそこまで断言するの……?」
「面白……もとい、白昼堂々女性に手を出すような輩は、セダルぐらいしか思いつかんからだ」
 きっぱりはっきり言い切るローゼン。
「ローゼン……『ヴァトルダー病』でも移ったんじゃないかの? 少し休んだ方が……」
「心配無用っ。さあ、セダルの所に殴り込むぞ〜」
 顔が妙に生気づいている。ここの所『抑え』の役が多かったため、そうとう鬱積されていたのだろうか。被害者ジェニーをここへ呼んできて、ローゼンとの間に幕を引いて対談させてみたとして、まさか先ほどの『善良なお兄さん』と同一人物とは思うまい。
 ローゼンもこの数年で随分様変わりしたものである。彼一人に限ったことではないが……。
「僕、思うんだけどね。ローゼン、『ヴァトルダーの無実を晴らす』っていう本来の目的、忘れてるんじゃないかなぁ」
「気にしてはいかん。それに当初の目的よりは、今の方が俄然興味が涌くじゃろ?」
「そりゃまあ……そうだけどね」
 跳ねるように先頭を行くファリス神官の後ろでこそこそと話す二人。
 そしてダルスはその更に後を、「ふよふよと浮いて」ついてきていた。衆人の視線を一行から散開させたのは言うまでもないことである。

 クレイン・ネットワーク・オラン本部は、外観こそ変わらないものの内部は物的にもシステム的にも様々な 変更が加えられている。ティグ・フィー・クレイン機軸の巨大ネットワークからセイン=リーハ=セダルという新機軸へ移行した結果だ。ネットワークの規模が縮小すれば、本部内には撤去ないし縮小できる部門・部署も出てくるわけで、そうした部門を統廃合すると物理的空間も必然的に空きが出る。
 建物内は一人あたりの空間割り当てを広げることで空き空間の有効利用ができる(無駄遣いと言えなくもないが、使用しないことを考えればよほどましである)。問題は地下倉庫で、ネットワーク解体時に余剰在庫の処分や商品の各支部への譲渡を行った結果、九割方空になってしまっている。場所が場所だけに売るわけにも行かず、だだっ広い空間は未だに新たな用途が決まらぬまま放置されている。
 そんな中で年の瀬を迎えたクレイン・ネットワークを、四人の来訪者が訪れた。
「セダル支部長ですね。少々お待ち下さい」
 代表者ローゼンの言葉を受けて奥へ入った受付嬢は、やがて一枚の紙を手に戻ってきた。
「生憎ですが、支部長はただいま留守にしております」
「なんだ、逃げたか……」
「は?」
「あ、いや……なんでもないです」
 全身で否定を表現するローゼンに、受付嬢が手にした紙を手渡す。
「あなた方のお名前をお伝えしたところ、総裁がお会いになりたいそうです。これを持って、奥へお進み下さい」
「総裁……セインか。言われてみれば、ティグさんの葬式以来会いに来てなかったなぁ」
「寄っていこうよ、ローゼン。犯人はここの人かも知れないんだから、話を通しておく方があとあと楽だよ」
「犯人はセダルだって……まあいいか、積もる話もあるし。よし、行こう」
 一行は奥の執務室へと歩を進め、あとには『犯人はここの人』だの『犯人はセダル』だのと聞かされて混乱状態に陥った受付嬢が残された。

「お久しぶりです、皆さん。ようこそいらっしゃいました」
 ネットワークの若き総裁セイン・クレインはまだ風格に不釣り合いな席から立ち上がり、両手を広げて歓迎した。
 葬式の時から比べて幾分窶れてはしているが、それが父の死によるものなのか、はたまた総裁としての激務のためなのかは知ること出来ない。ただ活力に溢れる十代の瞳を見る限り、肉親を失った悲しみからは抜け出せたようである。
「ところで、ヴァトルダーさんの姿が見えませんが……何かあったんでしょうか?」
 一行を代表してダッシュが(パーティの総意で、暴走気味のローゼンには控えてもらうことになった)簡潔にこれまでの経緯を告げる。
「なるほど……それでセダルさんに面会を求められたわけですね」
 窓際に歩み寄り、かつての部屋の主がそうしていたようにセイン・クレインは表の景色を眺めた。
「セダルさんが犯人かどうかはこの際置いておくにしても──」
「置くなっ! きっとセダルがはんに……ムグ」
「……──まあ話を聞く限り『内部』の人間の犯行であるとみて間違いなさそうですねぇ」
「そういうことじゃな。で、わしらとしてはお前さんにネットワーク内の調査を認めてもらいたいんじゃが」
「──わかりました。あなた方の事は絶対的に信用していますし、内部の者が行うよりは外部の人間であるあなた方に任せる方が適当でしょう。そのように各部署の長にも伝えておきます」
 絶対的な信用を置くのもどうかと思われるが、セインはダッシュの申し出を快諾した。
「では早速調査に……と、このまま行くとあれが納得しそうにないんで、一応確認しておきたいんじゃが」
 ローゼンを指さして言うダッシュ。
「はい、何でしょう?」
「セダルじゃよ。ここにおらんということは、仕事か何かということじゃろ? アリバイはあるんじゃよな?」
「え〜と……イエスかノーかと言われれば、ノーです……」
「そうじゃろそうじゃろ、どうじゃローゼン納得し……ノー?!」
 予想外の答えに裏声になったダッシュと正反対に、嬉々とした様子でローゼンが近づく。
「そうか、やっぱりないか! セダルはどこにいるんだ?」
「いや、だからアリバイがないって今言ったばかりじゃありませんか……あの人の居所は掴んでいませんよ」
 呆れた表情で告げるセダル。
「セダルさんは、昨日から有給休暇をとっているんです。休暇申請は明後日までですから、オランの外には出ていないと思いますけど……」
 執務室を後にしたローゼン達は、廊下に円陣を組んで思いつく限りの『セダルが行きそうな場所』を出し合った。しかし出てくるのはどれもこれも『オラン有数のナンパ場所』ばかりである。セダルという人格がどのように評価されているかを偲ばせる話だ。
「そういえば……」
 と、ダッシュが思い出した場所が一カ所あった。
 かつてセダルが「決算報告書」を紛失した時、ダッシュはバールスともどもその捜索を手伝ったことがある。その時に訪れた場所だ。
「あそこならいるかも知れん……少なくとも『セダル情報』を得るには最も適当な場所じゃ」
 そう言って、ダッシュはパーティを先導して走り出した。

 着いたその家は、オラン郊外に広がる住宅地を成す一軒だった。大きさは標準だが外装の方には随分お金をかけている様子である。
「ここは……?」
「セダルの『妹』の家じゃよ」
 極めて簡単に説明してから、ダッシュは戸口を叩いた。
「は〜い」
 中から快活な少女の声が聞こえ、間を置かずに戸が開かれる。赤いショートヘアの娘が顔を覗かせ、居並んだ4人の男──全員が異種族である──を前に目を瞬かせた。
「えっと……?」
「久し振りじゃの。ほれ、三ヶ月ほど前にセダルが決算報告書を紛失したことがあったじゃろう」
「……ああ、あの時のドワーフさん! セダル兄ちゃんに用なんだね?」
「え、いや……」
「兄ちゃ〜ん! お客さんが来てるよ〜、こないだのドワーフさん」
 ダッシュの言葉を最後まで聞かず、少女は奥へ引っ込んでいった。
「どうやら……犯人はここにいるようだな」
「だからそうとは決まっておらんじゃろうが。不用意なことを口にするでないぞ」
 巡察官気取りのローゼンに不安を覚えたのか、ダッシュが釘を刺す──効果の程は疑問符が3つほど並ぶが──。
「ドワーフ? ダッシュだな。なんでここに──」
 珍しく普段着で姿を見せたセダルは、ローゼン達の顔を見て絶句した。
「……おい、ダッシュ」
「なんじゃ?」
 三十秒ばかり凍り付いてから、ようやくセダルが声を発した。
「お前、確かここのことは『マイリーに誓って』言わないと誓ったんじゃなかったか?」
「そ、そうじゃったかな……」
 約束のことなどすっかり失念していたダッシュは、申し訳なさそうにポリポリと頭を掻く。
 ──当時ダッシュは「言わないと明言したものの『マイリーに誓う』ことだけは避けた」のであるが、どのみち忘れているのだから特に問題はない……いや、大ありか?
「いや、それどころじゃないぞい! お主に『強姦未遂』の疑いがかかっておる!」
「な、なんだそりゃ?!」
 これにはさすがに驚きを隠せないセダル。この場にローゼン達を連れてこられた怒りすら忘れて口をあんぐりと開けている。
「セダル、観念しろ。この俺が引導を渡してやる」
「ふぁ、ファリスの神官が兄ちゃんを捕まえに……そんな、ホントなの?!」
「そんなわけないだろ、エーリアっ! 第一、今日はお前と一緒にいたじゃないか」
 咄嗟に否定し、アリバイを提示する。
「犯行が行われたのは今日の昼前です。エーリアさんでしたっけ、その時あなたの『お兄さん』は何をなさっていましたか?」
 宗教詐欺師の表情にシフトして尋ねるローゼン。
「に、兄ちゃん……昼前って、確かあたしが頼んだお野菜を買いに出てなかったっけ……?」
「うっ!」
 ものの一分と経たないうちにアリバイを崩されてしまい、顔面蒼白になる。
「決まりですな。エーリアさん、大変残念なことですが、察するにあなたの『お兄さん』は、あなたに買い物を頼まれたことをいいことに外で女性にちょっかいを出しておられたようだ」
「違う、違う〜っ!!」
「見苦しいぞ、セダル」
「本当に違うってのっ! ちゃんと調べれりゃわかるっ!!」
「ま、詳しいことは詰所で話してもらおうか。バールスさんの前なら、さすがに嘘はつけんだろ」
「う…………」
 張り詰めた精神の糸が切れてしまったのか、それともバールスに突き出される恐怖に冒されたのか、セダルは玄関でへたり込んでしまった。そんな彼を背負って、ローゼンが『犯罪者の妹』に慰めの言葉をかける。
「では、申し訳ありませんが彼をこのまま連行します。……どうして『お兄さん』がこんなことをされたのかはわかりませんが、きっと魔が差したんでしょう……」
 お辞儀をしてローゼンは歩き出し、彼に続いて残る三人も家を後にする。あとには『妹』エーリアが、事態を飲み込めないまま呆然と立ち尽くしていた。

 二日後。
 容疑の疑いが晴れたヴァトルダーと、同じく疑いの晴れたセダルは、共に留置場を後にした。ローゼン達の放擲した役目の後を引き継いだバールス達による立ち入り調査で、真犯人が逮捕されたのである。犯人は、ヴァトルダーとセダルのいずれにも何の縁もない、三十を過ぎたうだつの上がらない男だった。
 ヴァトルダーとセダルといういずれも決め手に欠ける二人の容疑者の存在が、バールスに金一封をもたらしたと言える。もしこれがいずれか一人だけであったなら、彼の尋問への欲求が二日間も抑制されることはなかっただろう。
 そういう意味では、ローゼン達のやったこともまったくの無駄ではなかった。但しこれをヴァトルダー達が恩義に思うかどうかはまた別問題である。
「パパ、おかえりなさい!」
「おお、ヴァトルダー。無実が証明されたんだな、よかったよかった」
 温かく出迎えてくれたソローとマスターに、ヴァトルダーが開口一番尋ねる。
「ローゼンは? フィップは、ダルスは、ダッシュは? いったいどこにいるっ?!」
 憤怒の形相で迫る彼、そしてセダルに、マスターはおずおずと一枚の紙切れを渡した。
『親愛なるヴァトルダーとセダルへ。あなた方がこの手紙を読まれる頃、私たちは東の空の下にいることでしょう。助けを乞うお婆さんの頼みを、どうしても断りきれなかったのです。二週間ほどしたら戻り……」
 馬鹿丁寧な言葉で綴られたその手紙が最後まで読まれることはなかった。
 怒髪天を突く男二人の怒りの捌け口となったそれは、粉微塵になって冬の夜空へ消えていった。


インデックスへ戻る