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幸薄き精霊使い

「そういえば、目的地をまだ言ってなかったな」
 ローゼン・セダルの一行と別れて小一時間ほどしてから、ふと思いついてラエンが後ろを振り返った。
 ローゼン達と違い、彼らは馬で目的地を目指している。ラエンとリーハが並んで先導し、その後ろにダルスとフィップ二人の乗る馬、次いでシルク、後詰めにヴァトルダーとソローという形で隊列を組んでいる。ヴァトルダーとソローの組み合わせは(立場上は)問題ないとして、フィップがダルスと同じ馬上にあるのは、単に『グラスランナーが独力で乗れる馬の都合がつかなかった』からである。
「もしこのまま街道を逸れなきゃ、アノスだね」
「ああ」
 フィップの言葉を受け、ラエンが答える。
「だが目的地はさらにその先、ミラルゴだ」
「げっ。まさか、あの『遊牧民の連合国家』か?!」
「ほう、お前にしてはよく知っていたな。褒めてやろう」
 自分がほんの数週間前に文献で知ったばかりという事実を棚に上げ、『書類上の依頼人』ラエンはニヤリと笑った。
「冗談じゃないぜ……ろくに『遊ぶ場所』がない、ってぇ所だろう?」
「そうさな、お前が『遊ぶ』ような場所なんざ、ミラルゴ全域で数えてもせいぜい片手の指で数えられる程度だろうぜ。それどころか、アノスへ入った時点で諦めた方がいいな」
「が、が〜ん……」
 ショックのあまりがっくりと項垂れ、角を生やしたソローに髪を引っ張られる父ヴァトルダー。
「そのミラルゴに、まだ手つかずの遺跡が残っているという情報を手に入れたんだ。高かったんだぜぇ、このネタは」
「でも、本当にあるんですか? 古代王国崩壊からもう何百年も過ぎているのに……」
「さあな。こればっかりは、行ってみないとわからんさ」
 首を傾げて素朴な疑問を口にするシルクに、ラエンは頼りなく答える。
「信憑性は高いはずなんだけどな。グラード(ミラルゴの王都)の旧支部長が、ネットワーク解散の時に置き土産として残していった『未公開の文献』に記されてあった場所だから……」
「……ま、まさかラエン、お前、ネットワークを辞める時にその情報を盗み出したとか……」
「人聞きの悪いことを言うんじゃねえ。さっき『高かった』と言っただろうが!」
 ギロリとヴァトルダーを睨み付ける。
「ったく、元支部長が相手なんだから、もう少し安く譲ってくれてもよかったのになぁ。セインめ、父親に似て金にうるさい……」
「何言ってるのよ。『中から出てきたものは全て俺の物』なんて条件を突きつけたら、誰だって値段を吊り上げるに決まってるじゃない」
 新総裁と元支部長の交渉を横で見ていたリーハが、ラエンを揶揄する。
「それで、具体的にはいくらで買ったんだ?」
「確か……500万ガメルだったかな」
「ごっ……?!」
 次の瞬間、ラエンとリーハを除く全員が落馬した。馬もいい迷惑である。
「な……なんだっ、その法外な金額は!!」
 土だらけのマントを払おうともせずにつっこむヴァトルダー。偉大なるティグ・フィー・クレインに感化されてすっかり麻痺していた金銭感覚が、桁違いの金額を前に呼び起こされたようである。まったく『免疫』のないシルクに至っては、恐れをなしてじりじりと後退りすらしている。
「そう言われても……なあ。財宝の所有権は何が何でも手に入れたかったし……」
「完全に手つかずの遺跡ですから、もし運が良ければ2倍、3倍の財宝が手に入るかもしれませんもの」
 ラエンの言葉を、事情通のリーハが補足する。
「大博打だな、それ……」
「あ〜。でも、その金額を払うことのできたラエンの財力もすごいよねぇ」
「ははは……実を言うと、リーハに少しばかり金を借りた。『退職金』だけじゃ払いきれなかったもんでな」
 貯金などという高尚な存在にはいまだかつて手を出したことのないラエンである。
「ちなみに、借りた金額は……」
「あ〜、言わなくていい。これ以上そっちの世界の話を聞いたら、感覚がおかしくなっちまう」
「そ……そうか?」
 金銭面で日頃リーハやセダルに散々貶されているため、ラエンとしては話したくて仕方なかったらしい──借金額を自慢げに語るのもどうかとは思うが──。彼は心底残念そうに口を閉ざした。

 ちなみに、その額は100万ガメルだった。

 ブラードの町へ到着したのは、昼以上夕方未満のことである。つまり、何をするにも中途半端な時間帯だった。次の町へ行くには遅すぎるし、さりとて宿へ引きこもるには早すぎる。
 一行は馬を宿に預けると、暇つぶしがてら町の散策に出かけた。
 途中、知らぬ間にラエンとリーハの姿が消えていたが、誰も取り立てて騒ごうとはしなかった。『気が付くと仲間が消えている』という現象にすっかり慣らされていた──というのが、一つの理由である(常習的な『いつの間にか消える仲間』というのは、言うまでもなくヴァトルダーのことだ)。
 ぶらぶらと歩いていた一行の耳に子供の泣き叫ぶ声が飛び込んできたのは、裏通りへ入ってからしばらくしてのことだった。
「なんだなんだ、子供の喧嘩かぁ?」
 20メートルほど先で展開されている光景を見て、ヴァトルダーが苦笑いした。家の前で小柄な少年が大柄な三人に囲まれ、罵声と共に拳骨で小突かれている。
「リーハさんがいたら、『早く止めないと!』って走り出すんだろうね〜」
 のほほんとした声で呟きつつ、歩行速度をまるで変えないフィップ。
 ソローとシルクは、狼狽えた様子で側にいる人間を見回している。しかし……『女性しか目に入らない男』『妙に世の中を悟っているグラスランナー』『そのグラスランナーとは違う方面の悟りを開いているエルフ』──彼女らが縋る対象は、いないに等しかった。
「あんたたち、やめなさい! そんなことじゃ立派な大人になれないわよ!」
 そこへ突如、凛とした声が投げかけられた。
 女性の声である。ヴァトルダーなどは必死になって声の主を捜し求めたが、ほどなくその正体が中年女性──おばさんだとわかると、首を振って深い深いため息をついた。失礼な男である。
 少年たちを挟んでちょうど反対側の位置に、彼女は仁王立ちになって立っていた。右上腕には何かの腕章をつけている。その後ろには、気の弱そうな青年──と呼ぶにはやや若いが──が控えていた。
「またあの変なおばさんだ! 逃げろっ!」
「あっ、こら、待ちな! まだ話は終わって──」
 中年女性の声を無視して、少年達はヴァトルダーらの横を抜けて逃げていった。ついでに苛められていた少年も、さりげなく別方向へ走り去った。どちらも『関わらない方が身のため』なのを察したようである。
「ちょっと! あんた達!」
 走り去った少年を呆然と見送っていた一行が声に振り返ると、中年女性が鬼の形相で睨んでいた。間違っても力で負けるはずはないのだが、そこは滲み出る迫力の差、思わず後ずさってしまう。
「なんであの子達を捕まえなかったの! まさかあんた達、ぐるになってあの子を苛めてたんじゃないでしょうね?!」
「い、いえ、決してそのような……俺たちは、単なる通りすがりですよ」
 ソローとフィップに後ろから押され、しどろもどろになりながらも弁解の場に立つヴァトルダー。
「……ふん、まあいいわ。今度会ったら、問答無用でとっちめてやるんだから!」
 言いつつ、指の骨をボキボキ鳴らす中年女性。生半可なモンスターよりよほど怖い。
「あ、あの……失礼ですが、あなた方はいったい?」
「ふっ、よくぞ聞いてくれたわ」
 その質問を待っていたのか、一転して笑みを浮かべ──しかしその顔はやっぱり怖い──彼女は右肩を突き出し、腕章を見せた。
『いぢめ対策連合会』
 そこには、確かにそう書かれてあった。
「あなた達、よく見たら結構腕が立ちそうじゃない。特にあなた、そうとう腕っ節が強そうね」
 女性はヴァトルダーの腕をぺちぺちと叩いて満足げに頷き、それから小声で囁く。
「それに、あたしのこ・の・み……☆」
 その瞬間、ヴァトルダーは背筋を毛虫が這うような錯覚に見舞われた。
「お前もそう思うわよね?」
「は、はあ……」
 それまで女性の後ろで俯いていた男が、そっと顔を上げた。同時に、「あっ!」という声が二カ所から上がる。声を発したのは、その若い男とフィップだった。
「なんだ、どうした?」
「どうした……って、ヴァトルダー忘れたの? あ、ダルスも忘れてるね……」
 錯綜状態にある一行の前へ男が歩み出、今度は幾分毅然とした態度で一礼した。
「まさか、こういう形で再会するとは思いもしませんでしたが……お久しぶりです、皆さん」
 背丈と髪こそ少し伸びたものの、その顔は紛れもなく昔の仲間、ポムだった。

「そっか〜。あの時の薬で、お母さん、ちゃんと元気になったんだね」
 ブラードの町の宿屋兼酒場『憩いの切り株』亭──フィップ、ダッシュ、ポムの三人が初めて顔を合わせた場所である──で、料理をつつきながらフィップ。
「よかったじゃん」
「うん、ありがとう。でもねえ、いくら元気でも、あれじゃあ……」
 沈痛な面持ちで俯くポムの姿を見ては、ヴァトルダー達としても苦笑いする他ない。
「しかしポム。お前のお袋さん、若干パワーの傾け先を間違えてるかもしれないが、それも元気だからできることだぞ。親が在ること、それは何にも代え難いことだ」
「……ヴァトルダー……今、何食べた?」
 暗に『悪いもんでも食べたんじゃない?』と言っている。律儀に品目を列挙し始めたヴァトルダーは、二十秒後にそれと気付いてフィップを張り倒した。
「い、痛た……。ところでポム、あの、いぢめ対策何とか……って何?」
「『いぢめ対策連合会』かい? もう一年以上前かな。病気が治った時に、何を思い立ったのか、母さんが突然結成した会だよ。『この世に蔓延るいじめの芽を摘み取るのよ!』とか言って」
「おいおい……」
 あぶねぇおばさんだな──と、ヴァトルダーは率直に思った。着眼点自体は問題ないが、それに携わる姿勢の方にかなり難がある。
「で、僕もそれを手伝わされているわけです」
「わけです……ってお前な、ちったぁ自分の意志で行動したらどうだ?」
「はあ……でも、母の言うことですから、従わないわけには……」
 親が『あれ』な上に、当人はマザコンか──と、ヴァトルダーはさらに思った。ポムが知ったら何と思うだろう。
「ひょひょひょ、ポムよ。いじめの芽を摘み取る方法、悟りを開いたこのわしが、教えてやらんでもないぞ」
 それまで黙って『熊の掌のスープ』を啜っていたダルスが、にんまりと笑みを浮かべて話に割り込んできた。
「えっ、本当ですか?! もしそういう方法があるなら、普通の生活に戻れる──ぜひ、教えて下さい!」
「うむ、よかろう」
 ダルスは鷹揚に頷いた。
「そもそも、いじめがなくならない原因とは何ぞや? それはいじめる側から見て、いじめられる側に何らかの心理的不満があるからぢゃ。これを解消させれば、自ずといじめはなくなる」
「なるほど……仰る通りかもしれません。それで、具体的には……?」
「簡単なことぢゃ。ずばり、いじめに携わる全ての者をこの世から抹殺する! こうすれば、いじめの芽どころか根っこごと──」
「無茶苦茶言うな〜っ!!」
 ヴァトルダーの平手打ちがダルスの後頭部を捉え、彼の顔面は一直線に皿へ突っ込んだ。派手な音を立て、周囲にスープが撒き散らされる。
「ダルスさん……途中までは、すごくまともそうだったのに……」
「騙されちゃダメだ、シルクさん。こいつは名うての変人だからな」
 シルクをこの場へ引きずってきた『詐欺師』ヴァトルダーが言うと、説得力のないこと夥しい。
「……な……何をするのぢゃ、ヴァトルダー……」
 しばらく間を置いて、スープまみれの顔を上げ抗議するダルス。
「やかましい。今のお前には、発言権どころか生存権もない」
「そっ……そこまで言いよるか……」
 それきり絶句してしまったダルスだったが、やがて気を取り直すと、何事もなかったかのように熊の掌をフォークで突き刺して遊びだした。
「そ、それじゃあ僕はこの辺で。あまり遅くなると、母さんにどやされますから」
「あ……ああ、またな。明日まではこの街にいると思うから、何かあったらここへ来てくれ」
 ポムが宿の戸の奥へ消えてから、ダルスは口を開く。
「ポムの母親ぢゃがな、妙なもんに憑かれておるぞ」
 突拍子もないことを言い出したダルスに、一同は目を瞬かせる。
「な……何?」
「精霊力の感じからすると、霊にでも憑かれておるような感じぢゃったな〜。もっとも、普通の霊とは何かが違うような……わしより遙かに優れた精霊使いのポムが側にいながら気付かんぐらいぢゃから、さらに異質な何かかもしれんのう」
 懐疑に満ちた視線が、変人エルフに注がれる。フォークは相変わらず熊の手を弄り倒していたが、その目は笑っていなかった。
「あ……あたし、そんなの全然感じなかったけど……」
「ひょひょひょっ、ソローよ。精霊使いとしての腕はともかく、お主とわしとでは、経験に雲泥の差があるんぢゃぞ。そもそも、悟りを開いたこのわしと同じ感覚を持とうなど、百年早いのぢゃ!」
 最後の一言はやはりダルスだった。
「ともかく、一度じっくりと調べてみたいのぢゃ。不安を後々まで引きずるのはよくなかろう?」
「ああ。……ま、ラエン達が帰ってきたら相談してみよう」
 今日中に帰ってくるかな──と心の中で思いつつ、ヴァトルダーが締めてこの話題は打ち切られた。

 翌日──
 ヴァトルダーが眠い目を擦りながら階下の食堂へ降りてくると、昨夜寝る時には姿がなかったはずのラエンとリーハが平然と椅子に腰掛けていた。
「よおラエン、昨日はずいぶんと──」
 ちょいちょいっ、と服の裾を引っ張られて視線を転じると、額の中心に赤い痣を作ったフィップがこちらを見上げていた。
 ふるふる……
 自分と同じ過ちを繰り返してはいけない。如実にそう語るアイス・ブルーの瞳に、赤毛の戦士は顔を引き吊らせてそのまま着席した。
「事情はだいたい聞いた。何でも、元仲間の母親が幽霊に取り憑かれているそうじゃねえか」
「おう。もっともあのダルスの主張だ、甚だ信憑性が乏しいけどな」
 話題の主ダルスは、「朝の修練ぢゃ」と言って日の出と共に部屋を出たまま、帰ってきていない。
「お前達の元仲間とやらが絡んでいるんじゃ、無視するわけにもいかんが……こっちとしては、あまり悠長にやられても困るしな」
「んじゃ、食事が終わったら、さっさとケリをつけにいくってことで」
 フィップの提案に、ラエンは首を縦に振った。
「──でも、街中で騒ぎを起こしかねないというのは問題があるわね。そのお母さんだけを、何とか街の外へ連れていけないかしら?」
 昨日の事情を知らぬ二人+寝起きの約一名を除く全員が顔を見合わせ、一様に「にへらぁ」と悪戯っ子ぽい笑みを浮かべた。

「あれっ……どうしたんです、こんなところに」
「いや……ちょっと野暮用でな……。お前のお母さん、いるか?」」
 ヴァトルダーの問いに、ポムは首を傾げながら『いぢめ対策連合会』ブラード本部の奥へ入っていった。やがて母を伴い、彼が戻ってくる。
 愛しい戦士の姿を認めて、彼女は歓喜の声を上げた。
「あら、あんた!」
「ど……どうも……」
「よく来てくれたわね。『いぢめ対策連合会』へ入会に来たの? それとも……」
「じ、実はあなたにお話があって……町外れまで、付き合っていただけませんか?」
 演劇会場なら即ブーイング間違いなしの棒読みだったが、彼女は声の抑揚など気にも留めず、その内容に心躍らせた。
「やっぱりあたしの事を気にかけてたのね?! ああ、どうしましょう!」
 浮つくポム母と顔面蒼白なポムを目にしながら、ヴァトルダーの心は亡国クルカのように寒々としていた。「恰幅良し、化粧濃し、性格悪し」の三拍子揃った中年女性など、ヴァトルダーでなくとも眼中に入るわけがない。
 あいつら……この件が片付いたら、絶対ぶっ飛ばす!
 薄情な仲間──と娘──の顔を順に思い浮かべ、拳をプルプルと震わせるヴァトルダー。そんな彼を、ポムがさらに傷つける。
「ええと……お……お義父さん」
「俺をそんな風に呼ぶなぁ〜っ!!」
 苦悶の表情で、ヴァトルダーは絶叫した。

「あっ、来ましたわ」
 シルクの上げた声に、思い思いの行動を取っていた一同がわらわらと集った。その中には、いつの間に合流したのか、『言い出しっぺ』ダルスの姿もある。
「なんか……パパ、妙なオーラを放ってるわね……」
 冷や汗をかきながらソロー。父に強要した事柄に対して、わずかながら反省はしているようだ。
 ヴァトルダーに先導され、ポムの母も近づいてくる。彼女もこちらの存在に気付いているらしく、顔にはやや戸惑いの色が浮かんでいる。
「あのギャラリーは、いったい何なの?」
「はっはっは……我々の新たな門出を見届ける、証人たちですよ」
 乾いた笑い声を上げて、事前に用意しておいた『回答』を聞かせた。彼女はそれで納得したらしく、それきり到着まで口を開かなかった。
「よう……連れてきたぞ」
「お役目ごくろ〜さん、ヴァトルダー。んじゃ、ダルス……」
「うむっ」
 フィップに促され、怪しげな姿勢でにじりと歩み寄るダルス。その異様さにはさすがにビビッたか、吊られてポム母もじりじりと下がる。
「な……なによ、この変人は! 近づくんじゃないわよ!」
「ひょっひょっひょっ……」
 ポム母の罵倒にもまるで動じず、ダルスは古代語魔法<センス・マジック>を使った。
「む〜ん……わかったのぢゃ! 原因は、その指輪に違いないのぢゃっ!!」
 彼女が右手中指につけた指輪に込められた魔力を感知し、両手の人差し指でびしっ、と指さす。
「……くっくっ……」
 その途端、先ほどまで目に見えて狼狽えていたポム母が口の端を吊り上げてくぐもった笑い声を上げる。そして、大きく後ろに飛び退ると仁王立ちに構えた。
「ばれてしまっては仕方がない! そう、この女を操っていたのはこの私、『ヴェラス』だ!」
 訊かれもしないのに──そもそも、ダルスに問い詰められてすらいないのに──ヴェラスと名乗る、おそらくは指輪の精がべらべらと喋り始める。
「かつて私は、カストゥール王国の文官だった。その頃から心を痛めていたのだ! 『なぜ、なぜこの世にはいじめが蔓延るのか』とな! だから私は指輪に魂を封じ、未来永劫、いじめを無くすことに尽力することにしたのだ!」
 ヴェラスの言葉を聞いて何かを思いだしたのか、フィップが記憶の糸を辿り始める。
「似たような話を聞いたことがあるなあ……。冠か何かに意識を封じ込めた……何とかの魔女……大陸の南にある島の話だけど」
「そうか……私と志を同じにするものが、他にもいたか!」
 ヴェラスの喜びを、しかしフィップはあっさり打ち砕く。
「ううん……記憶が曖昧なんだけど、『いじめをなくす』みたいな、ちんけな志じゃなかったような気がするよ」
「ちっ……ちんけだとぉ?!」
 当然だが、己の命を賭した──どころか、命果てた後までかけた所業──を「ちんけ」と評されたヴェラスは激昂した。
「許さんっ! 貴様らに、カストゥールの魔法の恐ろしさ、身を持って思い知らせてやる!」
 さらに大きく飛び退って、ヴェラスは意地の悪い笑みを浮かべる。
「『私』──この女が填めている『指輪』は、物理的な力では外れんぞっ! さあどうする?! この女もろとも、私を──」
「うるっせぇ!!」
 ヴェラスの挑発を最後まで聞くことなく、鬱憤を溜めに溜めたヴァトルダーは跳躍して剣を一閃させた。
 肉を切り裂き骨を断ち、それからわずかな間を置いて、とさりと「それ」が草の上へ落ちる音がした。さらに少し遅れて、『ポム母』の絶叫が響きわたる。
 その光景に、大半の者は口をパクつかせ、シルクは卒倒し、ダルスは奇声を上げて踊り狂った。
 地面に落ちたもの……それはヴェラス──いや、ポム母の『右手』だった。手首のところですっぱり切り落とされている。
「ふっ、これで諸悪の根元は断たれた」
 鮮血が噴き出す手首を押さえてのたうち回るポム母──すでに意識は取り戻しているだろう──を尻目に、ヴァトルダーは一同に爽やかな笑顔を向け……
 そして、完膚無きまでに叩きのめされた。

「くそ〜、こっちの足元を見やがって……」
 指輪は、切断した右手ごと人目に付かない場所へ埋められて処分された。『魔術師ギルドへ売り払う』という案も出たが、他人のものを売るのもまずいし、何より巡察官を呼ばれかねないのでさっさと人の目から隠すことにしたのだ。
 ポムの話によれば、あの指輪は、薬を手に入れてオランを去る際にティグ=フィー=クレインから『餞別』としてもらい受けたものらしい。当時の会話を再現すると──
「えっ、本当にもらってもいいんですか?」
「どうぞどうぞ。まだ未鑑定ですから、どれがどんな魔力を持っているかはわかりませんけどね。高価なものもあれば、捨て値で売るような品も混じっているでしょう。まあ、運試しみたいなもんですよ。さ、好きなものをお取りなさい」
「ええっと……あっ、この指輪! こんなに大きな宝石がついて……この指輪にしてもいいですか?」
「これですね? はい、どうぞ」
「わあ……どうもありがとうございます! 母さん、喜ぶだろうなあ……」
 ──せめて、渡す前に『ヤバいアイテムかどうか』ぐらいの鑑定だけでもしておけよ、とパーティの常識派が思ったのは言うまでもない。
  一方、切り落とされたポム母の右手は、リーハの神聖魔法<リジェネレーション>によって再生を始めていた。完全に癒えるまでにはあと一週間という時間を要する。
 説明を受けて事情を理解したとはいえ、それでポム母の怒りが解けるはずはなかった。ポムとリーハが仲裁役を買って出たが、それでも最終的にヴァトルダーは、五千ガメルの示談金を支払う羽目になった。
「お陰で財布の中身がずいぶん寒くなっちまった。当分は、ラエンにたかるかな……」
 宿屋の一室で、荷物をまとめながら呟く。
「パパがあんな無茶するからいけないんでしょ?! ああ、五千ガメルもあったら、綺麗なお洋服がいっぱい買えたのにな〜」
「……」
 顔を引き吊らせつつ、聞こえないふりをして背負い袋の口を縛る。その時、ドアがノックされた。
「もう出発の時間か……と、なんだポムか。お前の母さん、まだ怒ってるか?」
「はあ……そりゃまあ、そう簡単には収まらないでしょう。それとですね、『いぢめ対策連合会』が解散することになりました」
「そうか……」
 もともと古代王国人の妄執から生まれたものだけに、指輪が失われた以上、それが消滅するのは当然の推移だった。彼女にしてみれば「なんであたし、こんなことをしていたのかしら」といったところだろう。
「で? その報告に来たのか?」
「いえ……あの、ちょっとお話がありまして……内密の」
「……ソロー、ちょっとフィップたちの部屋へ行っておいで」
 ポムの言わんとするところに気付き、ヴァトルダーは娘を部屋の外へ出して鍵を掛けた。
「で? いったいなんだ?」
「ええと、ヴァトルダーさん……お義父さんと呼んでもいいですか?」
 ぶちっ……という音が聞こえたかどうか。ヴァトルダーは立て掛けてあったグレート・ソードを手に取り、迷わず鞘から抜き払った。
「ポムぅ! そこまで、俺と自分の母親をくっつけたいかぁ!!」
「ちっ、違います違います違います〜! そういう意味じゃありませんっ!」
「……なら、どういう意味だ?」
 必死の形相で否定するポムを見て、ヴァトルダーも思い止まった。グレート・ソードは今なお抜き身のままだが。
「つまり、その……ソローさんを……」
 顔を真っ赤にしながらそこまで言ったポムの言葉を受けて、ヴァトルダーの頭が思考を開始する。
 自分──つまりヴァトルダー──と、ポムの母親が結婚すれば……自分は、ポムの『義父』になる。
 一方、ソローとポムが結婚すれば……やはり自分は義父になる。
 唯一の違いは「ヴァトルダーとポム母が夫婦になるか否か」なのだが、それはこの際さしたる問題ではない。
「要するに、ソローを嫁にくれ、ってか?」
「は……はい……」
 自分のことは完全に棚に上げて、ヴァトルダーは思った。「こんな軟弱野郎に、娘はやれん!」と。妙なところだけ父親らしい思考回路を持っているようである。
「……そうだな。俺を倒すことができたら、認めてやろう」
 とはいえ、元仲間に対してそこまでストレートに言うのもまずいと思ったのか、ヴァトルダーはこう提案した。
「わ……わかりました! それじゃあ……」
「おっ、来るか?!」
 グレート・ソードを上段に構えたヴァトルダーに、ポムは一言、こう呟いた。
「<インビジビリティ>」
 その瞬間、ポムの姿がヴァトルダーの視界からかき消える。
「うっ! ど、どこだ?!」
 狼狽えて一歩踏みだし、手探りで先ほどポムのいた辺りを探す。そんなヴァトルダーの背後に、ポムの姿がゆらりっ、と浮かんだ。忍び足で回り込んでいたのである。
「──!」
 それに気付いて振り向こうとした刹那──ポムの「膝カックン」が、ヴァトルダーに襲いかかった。

「パパの馬鹿〜! あたしを無視して、なぁんでそんな勝手な事を決めちゃうのよ!!」
「すっ……すまん、ソロー! 思わずはずみで……」
「『思わずはずみで』じゃな〜い!!」
 ばきっ! と、ソローの正拳突きが父の顔面を捉えた。
 ──実際のところ、ヴァトルダーの提案は、ポムの方が圧倒的に不利だった。肉体戦では言うに及ばず、総合的に見ても、ポムの実力などたかだか知れているのだ。どの程度かというと、「ソローを少し強くしたぐらい」といえばわかっていただけるだろうか。
 にも関わらずヴァトルダーが敗北──「膝カックン」で転んだだけだが──したのは、彼の慢心の賜物か、はたまたポムの執念か。
 何にせよ、ヴァトルダーは負けた。負けてしまった。
「そっか〜、ソローちゃんもとうとうお嫁入りかぁ。おめでとう」
「ひょっひょっひょっ、ヴァトルダーの分まで幸せになるんぢゃぞ」
 完全に他人の口調で、口々にソローを祝福(?)する二人。
「じょ、冗談じゃないわよ! あたし、ぜ〜ったい結婚なんかしないんだから!」
 きっぱり断言したソローの言葉に、ポムがよろよろと手すりにもたれかかる。
「僕……そこまで言われなきゃならないほど、魅力ないですか……?」
「あっ……いえ、別にそういう意味じゃないんですけど……」
 えぐえぐと涙すら浮かべるポムを、慌てて宥めるソロー。男として、あまりに情けない姿である。
「そっ……そうだわ! あたし、強い男の人が好きなの。そうね、セダルさんぐらい強くなったら、考えてあげてもいいですよ」
「ほ、ホントですか?!」
 ソローの(その場逃れの)提案にパッと顔を輝かせ、それから横にいたフィップに尋ねる。
「セダルさんって、どのくらいの実力があるのかな?」
「え〜とね……バルキリーで、光の鎧を作れるぐらい」
 かっくんと、ポムの顎が落ちた。
「──わっ、わかりました!」
 それからややあって、決意みなぎる瞳でポムはソローを見つめる。
「僕、修行して、そのセダルさんぐらいの実力を身につけてみせます! そうしたら、きっと迎えに行きますっ!」
 そう言い残すと、ソローの返事も待たずに彼は外へ飛び出していった。
「……あ、あはは……」
 しばらく硬直してから、ソローは頬の辺りをポリポリと掻き、ポムの出ていった扉を呆然と眺める。
「ポムさん、本気にしちゃったみたい……どうしよぉ」
 フィップとダルスは顔を見合わせ、ボソボソと囁きあった。
「やっぱり、『ヴァトルダーの娘』だねぇ……」
「うむ……純情な少年の人生を、明後日の方向にねじ曲げてしまったのぢゃ……」
 その後、ポムがどうなったのか。彼らがそれを知るには、あと一年の歳月を要することになる。


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