その日の朝も、いつもの様に始まった。つまり……。
ティグ「ふぅ……紅茶が旨い」
である。
ティグ「やっぱり、朝はこれがないと始まりませんね……」
くらぁっ……。
ティグ「め……目眩が……す……る……」
ガシャーン!
ティグの手からカップが落ち、床の上で砕け散った。
そしてそのまま、ティグの意識は遠のいていった。
執事「……というわけで、旦那様は、私が朝、紅茶を持っていきました時には、確かにいらっしゃいましたのです」
その日の昼過ぎ、ローゼン宅にて。
ローゼン「あの人、仕事にでも疲れて、どっか遠くへ逃避したんじゃない?」
高レベルソーサラーの特権……つまり、超理不尽魔法テレポートによる逃避行。
執事「いえ、旦那様はどこへ行かれる時も、必ず私たちに行き先を仰ったあとで行かれます。そのようなことは……」
ローゼン「そうか」
ローゼンは少々思案したあと、こう言った。
ローゼン「こういうのは、やっぱ専門家じゃないとな」
バールス「なにおぅ!?」
バールスはいきなり荒れた。
ローゼン「だからさぁ、ティグさんが行方不明なんですよ。こーいう事は専門家に任せるのが一番ですから」
執事「お願いいたします。どうか旦那様を……」
執事が深々と頭を下げる。
バールス「む、むぅ……。し、しかしだな……」
ローゼン「何か困ることでもあります?」
バールス「うーむ……あのな、俺の専門は、犯人に自白させることなんだぞ……」
ローゼン「……あれを、世間では自白というんですか?」
バールス「言うまでもない」
実際は、彼のやり方は「脅迫」と言うのだが、本人にその自覚はない。
バールス「とはいえ、クレイン氏がさらわれたってのは問題だな、確かに……」
ローゼン「ね?だからお願いしますよ」
バールス「……引き受ける前に、一つだけ聞きたいことがある」
ローゼン「何です?」
バールス「お前が、単に面倒なことは嫌だ、という訳ではないのだろうな?」
ローゼン「……も、勿論ですよ……」
顔が引きつっているのは、誰の目にも明らかである。
バールス「嫌なら嫌だと素直に言えばいいんだ……」
面倒くさそうに頭をかきながら、バールスは言った。
バールス「心配するな。引き受けてやる。今日中にも、オラン周辺の地域に部下を派遣しよう」
ローゼン「すいませんね、恩に着ます」
そのころ、ティグは……。
ティグ「むぐーっ、むぐむぐーっ!」
じたばた。
「暴れたって無駄ですよ、おじ様」
両手をばっちり縛られて、古代語魔法が使えないティグ。
ティグ「む!むむーっ、むぐぐーっ!」
「なーに、心配しなくても大丈夫ですよ。あいつらを亡き者にしたら、すぐに楽にしてあげますから……」
その日の夕方、ティグ宅に薄汚いおっさんが訪れた。
執事「はい……あ?物乞いならお断りいたしますが」
「わしゃあ、これを届けてくれって言われただけで……」
そう言い、持っていた紙切れを手渡した。
「じゃあ、わしゃあこれで」
渡すものだけ渡して、さっさと帰っていくおっさん。
執事「おかしな方ですな……」
首を傾げて、紙を見る。
執事「どれ……。!!」
執事はみるみるうちに真っ青になり、次の瞬間弾かれたように走り出した。
その一時間後、クレイン・ネットワークには史上空前の警戒網が引かれていた。
執事「ローゼン様、とりあえずはこれで大丈夫だと思います」
ローゼン「と、言われてもな……」
ローゼンは困った顔をした。
ローゼン「俺、呼び出されたばっかりで事情がわからないんだが……」
……そうだったっけ?
ローゼン「そうだったよ」
あ、そう。
執事「あ……ですから、かい摘んで申し上げますと、旦那様は唯一の甥に誘拐されたんです」
ローゼン「甥、ねぇ……」
フィップ「誰なの、それ」
執事「クライドー・クレイン。亡くなられたフォル様のご子息です」
ダッシュ「ふむふむ」
ローゼン「フォルの血筋は、さっさとこの世から根絶やしにしてやらないとな」
つまるところ、同族たるティグの血筋も断絶に追いやる、と言うことか? それは。
執事「そんな無茶な……」
フィップ「そーだよ。ティグさんが人質になってるのに」
執事「まったくです。ところで、旦那様には二人のお子様がいらっしゃいましてね」
ローゼン「そーなのか!?」
執事「ええ」
ヴァトルダー「なぜ、いままで黙ってたんだ?」
執事「……あなたがたと関わりを持つことによって、お子様の将来に微妙な影響が出ることを恐れたんでしょうね……」
微妙、というところにアクセントをつけた執事は、直後、ヴァトルダーとローゼンに殴られた。これは誰が聞いても嫌味以外の何者でもない。
執事「ほ、本気にしないで下さいよ……」
ローゼン「それで……その二人の命を狙ってる、とわけだな?」
執事「はい。ですから、こういう風に警戒網を引いたわけでして……」
ヴァトルダー「それで、その二人はどこにいるんだ?」
執事「現在、ネットワーク本部の地下に避難させております」
ローゼン「よし、俺たちもそこへ行こう」
執事「そうですか。では、こちらへ……」
トン、トン、トン……。
執事「こちらです」
ギギギィー。
「やあ、執事A’さん」
執事A’。以前、走り過ぎによる呼吸困難で逝った執事Aの息子である。
執事「おや、まだおやすみになっていらっしゃらなかったんですか? セイン様」
セイン「ああ。眠れなくてね」
セインと呼ばれた青年は返事をした。
ヴァトルダー「おい、あいつがティグさんの……」
ローゼン「ああ、きっとそうだろ……」
コソコソ話をする二人。
執事「メノ様は?」
セイン「もう寝たよ」
執事「そうでございますか」
執事は眠っている、メノと呼ばれた少女の顔を覗き込んでから、ヴァトルダー達の方を向いて言った。
執事「このお子達に万が一のことがあってはことです。つきましては……」
ヴァトルダー「護衛なら断る」
執事「えっ!?」
ローゼン「お、おい、ヴァトルダー……」
ヴァトルダー「いや、その必要はないといったほうが正確だな」
ヴァトルダーはニヤリと笑って言った。
ヴァトルダー「今から、クランドーのところへ殴り込みをかける! 男はともかく、女の子を泣かせた罪は重ぉい!!」
中指を立てて吠えるヴァトルダー。
ローゼン「ちっ、子供のことが絡んでくると、はりきりやがって、このロリ……」
ばこ。
ヴァトルダーに剣の柄で殴られ、ローゼンは敢え無く気絶した。
ローゼン「それで……」
ヴァトルダーに殴られてコブになったところを摩りながら、ローゼンが話を切り出した。
ローゼン「『ティグさんを救出してガッポリ金せしめてウハウハ』作戦のことだが……」
執事「もしもぉーし……その後半の部分、何とかなりませんか?」
ローゼン「そ……そうですか? お気に召さない? では……『ティグさん救出アーンド唸れ無限の報酬』作戦ってのは?」
執事「それもちょっと……『たっぷり報酬を出せ』という下心が丸見え何ですが……」
ぽりぽり。
ローゼンが頬を掻く。
セイン「執事A’さん、この人達、本当に大丈夫ですか?」
不安そうな顔つきで、執事に尋ねる。
執事「大丈夫ですって……多分。一応、実績はありますから」
一応、というところにアクセントをつけた執事は、再び殴られた。
ヴァトルダー「まあ、そんなこたぁどうでもいい。まずは先方の図面を見せてもらおうか」
執事「は……これです」
執事が机の上に、クライドー邸の図面を見せた。
ヴァトルダー「む……こ、これは!」
図面を見た一同の顔色が変わる。
ローゼン「なんと、3階建てとは!」
ダッシュ「しかもこの広さ! ティグさんとこに勝るとも劣らん!」
フィップ「すっごーい! こんなに部屋がある! いいなあ……」
セイン「だぁーっ!! あなたがた、いったいどこを見てるんですかっ! 侵入路を考えるんじゃないんですかっ!?」
セインがプツンと切れた。
ヴァトルダー「そ、そう……そうだった。んとなぁ、侵入するのは、この、3階のこの窓からがいいと思うんだが……」
セイン「あ、それ、いいですね」
セインも同意する。
ローゼン「……どうやって?」
ぴきぃ……ん。
セインとダルスとヴァトルダーを除く全員が硬直した。
セイン「……あ、そうか」
ややあってポンと手を叩き、納得するセイン。
ダルス「おお、なるほど」
ダルスも気がついた。
ヴァトルダー「え? 何? 何か問題でもあるの?」
ローゼン以下全員が、ヒクついた顔でヴァトルダーを見ている。
ローゼン「お、お前……まだわからないのか? ダルスとかならともかく、魔法も使えんお前が、どうやって3階から忍び込むっていうんだ?」
ヴァトルダー「……そ、そりゃあお前、グライダーなんかでスィーッと……」
ローゼン「何が、スィーッと、だ。大体なんだ、その『ぐらいだぁ』っつーのは」
ヴァトルダー「それはだなぁ、こう、金属の骨組みがあってだな、ビニールなんかで……」
……時代錯誤ならぬ、舞台錯誤……。
ヴァトルダー「んじゃあ、こーゆーのはどうだ? ダルスが皆を持ち上げて、空を飛んでスィーッと……」
ダルス「できるかぁ!」
ヴァトルダー「じゃあ、じゃあ、うーん……」
なぜ、そこまで三階から行くことにこだわる、ヴァトルダー。
ぷつっ。
ヴァトルダーの意識は、現実世界から急速に遠のき、夢の世界へ突入した。
ローゼン「ちっ、少ないのーみそを使い尽くして、もう何もでないか。呆気ない奴め……」
呆れ果てた目でヴァトルダーを見る。
セイン「では、僕の作戦をご披露しましょうか」
フィップ「よっ、待ってましたぁっ!」
ぱちぱち。
セイン「作戦といっても、大したことじゃありません。私が魔法を乱発します。そこを、皆さんに正面から殴り込んでもらうと、こういうわけなんですが」
それのどこが作戦なんだ……?
ローゼン「それでいくとするか。あれこれ考えてもしょうがないしな」
フィップ「少なくとも、どっかの馬鹿たれの、別世界の文明まで巻き込んだ作戦より、よっぽどいいよね」
……所詮、こいつらに「作戦」という高等なものを望んだ方が馬鹿だったか。
セイン「では……あと二時間後に、作戦開始、です。それまでに準備しておいて下さい」
ラエン「わーっはっはっ、いやあ、待たせたな!」
お仕事でネットワーク本部へ来ていたラエンは、事件を聞いて早速ヴァトルダーたちの元へ駆けつけた。
ラエン「この俺が来たからには、もう安心だぜ!クライドー邸など、跡形もなく叩き潰してくれるわ!」
ぱこーん!
セインがラエンの頭を引っぱたいた。
セイン「中には父がいるのに、叩き潰してどーするんですかっ!」
ラエン「いや、そのぉ……勢い……ってやつ?」
セイン「やつ? じゃないですよ。父にもしものことがあったら……もしものことがあったら……僕の元に遺産が転がり込みます」
ローゼン「あんたこそ何を考えてるんだぁっ!」
ばきぃっ!
セインは蹴り倒された。
セイン「いや……これも、その勢いってやつで……。あ、そろそろ時間ですね」
ごまかしたな、セイン君。
セイン「さ、行きましょう、皆さん」
ヴァトルダー「おうっ!」
復活したヴァトルダーが剣をシャキーン、と抜いて答えた。
クライドー「お・じ・さ・ん☆」
クライドー邸3階の一室で、クライドーがティグに不気味な微笑みを投げかけた。
ティグ「むぐっ!」
クライドー「どうも、あいつがあなたを助けに来るみたいですよぉー。せっかくこっちから出向いてやろうって言ってんのにぃ……。
それにしても、まったく、こっちには人質がいるっていうのにねぇ……。何を考えてるんでしょう、セイン君は……。ま、いいですけどね」
ティグ「むぅ!」
クライドー「というわけで、ちょっと来ていただけますか。なーに、ちょこっと手荒な真似をするだけですよ」
……普通は、「手荒な真似はしませんよ」とくるもんだが……。
ティグ「むぅーう゛ー」
泣きだしそうな声(じゃないか)で訴えるティグ。
クライドー「さ、行きましょうか」
ティグ「う゛ーっ!」
ずーるずる……。
セイン『ブリザードっ!』
びゅおぉぉ……。
傭兵A「ひぃぃーっ!」
ぴきぃん。
傭兵B「大変だーっ!悪党どもが攻めてきたぞぉーっ!」
所詮は傭兵、見事にうろたえている。
セイン「まだまだぁ! 『ファイアボールっ!』 次ぃっ! 『ライトニングぅ!』」
魔法を無尽蔵に撃ちまくるセイン。
セイン「ちっ、もう終わりですかっ! ソローちゃん、次っ!」
そばにいたソローに、粉々になった魔晶石の替えを要求する。
ソロー「は、はいっ!」
ソローもその言葉を受け、鞄をごそごそ探って、新しい魔晶石を取り出す。
ソロー「どうぞ!」
セイン「どうもっ! ようし、一網打尽にしてやりますか! 『アシッド・クラウド!』」
傭兵達の回りの空気が猛酸性に変わり、範囲内にいた傭兵は苦しみながらバタバタと倒れていく。
セイン「クライドー、お前のような奴にネットワークは渡しませんからねっ! あれは僕のもんですっ!」
こらこら……そーいう風に張り切ってどうする……。
ヴァトルダー「ふんっ!」
ずばぁっ!
ラエン「ぬおぅっ!」
ぶしゃあっ!
自称・無敵の戦士二人組は、正門を突き破り、本館目指してまっしぐら状態にあった。
後ろをフィップ以下いつもの面子+バールス&部下数名がヒョコヒョコついていく。
部下A「バールス様、これは明らかに法に引っ掛かると思いますが……」
前の二人の行為を見て、部下Aが、走りながら尋ねた。
バールス「いいか、我々の目的はティグ・フィー・クレイン殿の救出と、誘拐犯の検挙。それだけだ。他のことは、見て見ぬふりをしろ」
部下B「しかし、それでは……」
バールスが何か言いたそうな部下Bをジロッと睨み付けると、部下Bは恐怖のあまり、行軍から落伍していった。
ヴァトルダー「うおりゃあ、突撃ぃ!」
ずばっ!
ラエン「はぁあっ!」
ざんざんっ!
ローゼン「……おっそろしい奴だな……」
半分呆れた声で、ローゼンが呟く。
ヴァトルダー「武士道とは、死ぬことと見つけたり! By 石川御○門13代目!」
……別にどうとは言わんが……。
ラエン「おう、そいつぁいい言葉だな、ヴァトルダー」
ラエンが感心する。
「そこまでだ」
辺りにどよー、と陰湿な空気が満ちる。
フィップ「あいつが……」
ローゼン「ああ、きっとクライドー・クレインだ」
驀進する一行の前に、縛り上げたティグの首元にダガーを突き立てたクライドーが立ちはだかった。
クライドー「さあ、馬の骨にも等しき庶民よ。おとなしく武器を捨てよ。さもなくば……わかっているだろう?」
ヴァトルダー「……ふっ」
ヴァトルダーが笑みを漏らした。
クライドー「……?」
ヴァトルダー「馬鹿なことを言うな。なぜこの俺様が武器を捨てなければならないのだ?この(ピー)で(ピー)な(ピー)の悪党め!」
ティグの顔は真っ青になり、クライドーの顔はそれと対照的に怒りで真っ赤になる。
クライドー「な……嘗めているのか、己は!」
ヴァトルダー「ピンポーン」
クライドー……+ヴァトルダーを除く一行は、あんぐりと口を開けている。
クライドー「う……嘘じゃないぞ! 本当に、本当に刺すぞ!」
ティグ「う゛ーっ!う゛ー、う゛ーっ!(ヴァトルダー君、早く剣、捨てて下さいよー!)」
ティグは潤んだ目で、必死にヴァトルダーに訴えている。
ヴァトルダー「……?(そうか、私のことはどうでもいい、早くこいつを倒してくれ、か。何て立派な人なんだ、あんたは……。自分を犠牲にしても他の皆を助ける、うん、これぞ男の鏡だ! うるうる……。これこそ、『武士道とは、死ぬことと見つけたり!』なんだな!)ようし、わかったぜ、ティグさん!」
ティグの顔が安堵に変わる。
ヴァトルダー「あんたの思いはよーくわかった! 今すぐこいつを殺してやる! あんたは安らかに眠れ!」
ガーン、ガーン、ガーン……。
ティグの頭の中で、絶望の鐘が鳴り響いた。
クライドー「くっそぉ! どうせやられるなら、こうだ!」
ぶしっ。
ぴゅー……。
あ、ほんとにやりやがった。
ティグの首筋から、鮮血が吹き出した。かなりの高さまで吹き上がる。
フィップ「あー、やっちゃった!」
ローゼン「この馬鹿やろう! 相手を刺激してどうする!」
ラエン「お、オーマイガーッド!」
ティグ「……」
ティグはすでに気を失っている。ほっておけば、死ぬのも時間の問題だろう。
クライドー「はっはっは、もうあなたは用済みだ、おじ様! 諸君、屋敷で待っているぞ!
覚悟して入ってこい!」
そう言ってティグを蹴り倒すと、クライドーは笑いながら走って逃げていった。
フィップ「逃がすか!」
駿足のフィップがクライドーを追う。
しかし……。
クライドー「はっはっは、甘いなグラスランナー! 私はこう見えても、マラソンで昔はグラスランナーとタメを張っていたことがあるのだ!これだけ差があれば、お前はその差を縮めることはできても追いつくことはできん!」
そんな人間、いるのかほんとに!? ……とはいえ、偶然の要因が重なったとはいえ、ドワーフ(=ダッシュ)がグラスランナー(=フィップ)を走って追い越す今日この頃、まんざらあり得ない話でもないか……。
フィップ「ふえぇ……」
フィップも諦めて、ピタッと止まった。
ローゼン「『キュアー・ウーンズ』」
二度、三度とかけるに従い、深かった傷も癒えていく。
ローゼン「もう大丈夫だ。それにしてもあの野郎、本当にやるとはな」
バールス「うむ、許せぬ! これは誘拐に加え、殺人未遂の罪も加わるな」
バールスが腕を組んで頷く。
セイン「それにしても、とりあえず無事に父を取り戻せて本当によかったですよ。皆さん、ありがとうございます。このお礼はそのうち必ず……」
ヴァトルダー「ん、期待してるぞ」
ふ、普通こういう場合は、建前だけでも「いやいや、それには及びません」とか言うもんだが……。セインの顔も、心なしかヒクついている。
ローゼン「さて、これからどうするか、だが……」
ヴァトルダー「ふっ、決まっている。正面から殴り込みだッ!」
ぐぎり。
ヴァトルダー「はぅっ!」
バールスに後ろから首を90度ほど曲げられ、体をビクンと痙攣させる。
バールス「正面から乗り込むだと? なんと愚かな」
ローゼン「いやぁ、すいません。教育がなっていなくて」
ローゼンが、パーティを代表して謝る。
バールス「うむ、しっかりと教育しておくように」
ヴァトルダー「う゛っう゛っ……俺って一体……」
横たわったまま涙をはらはらと流すヴァトルダーだった。
ローゼン「じゃ、陽動作戦の方はよろしく」
セイン「了解!」
フライトで空中に浮いたセインが答える。
セイン「それでは!セイン・フィー・クレイン、行ってまいりまーす!」
ぎゅおん!
セインは、クライドー邸への突入を敢行した。
ローゼン「さぁて、そろそろ……」
ちゅどぉぉん!
屋敷の中で爆発が起こる。
ヴァトルダー「……始まった、な」
ヴァトルダーが背中のグレートソードをじゃきぃん、と抜き放つ。
ラエン「よし、行くか!」
ラエンもグレートアックスを構え、舌なめずりをする。
ティグ「さあ、無敵の戦士たち!」
復活したティグが命令を下した。
ティグ「かかりなさいっ!」
ヴァトルダー&ラエン「うおおおおおーっ!!」
ずどどどどど……ぴどどどどどっ!!
ティグ「うーん……扉を突き破って行くとは……あいかわらずパワフルですねぇ」
感心したように(呆れたように、でもあるが)呟いた。
ヴァトルダー「右か……それとも左か……はたまた、前か……?」
屋敷の中に突入した二人は、左右の扉と前方の階段とを見やって言った。
ラエン「ここは俺に任せな」
親指をグッと立てて、ヴァトルダーに目配せする。そしてご自慢のグレートアックスの柄を床にズンッと突き立てた。
ラエン「さあ、我が斧よ! 次なる道を指し示せ!」
……ゴトッ。
グレートアックスがグラリと左の方へ傾き、音を立てて倒れた。
ラエン「フッ……左だな」
口の端を上げて、ニヤリと笑った。
ヴァトルダー「おおっ! それは、魔法の斧か? 道を指し示す魔法がかかっているんだな?」
しげしげと斧を眺めて、ため息を漏らす。
ラエン「魔法? そりゃあ、確かにかかってはいるが……」
ヴァトルダー「いるが?」
ラエン「……単なる、斧の強化魔法だ」
ヴァトルダーの目が点になる。
ヴァトルダー「じゃあ……さっきのは?」
ラエン「フッ……運試し、だ……」
ぶわきゃあっ! げしげしっ! ごきぃっ! ばこぉっ!!
ティグ「何事ですかぁ? ああっ、ラエン!」
遅れて入ってきた一行は、血まみれになって腫れ上がったラエンの顔を見て動揺した。
ティグ「どこっ……どこですっ! 敵はっ!」
ローゼン「えっ? 敵!?」
バールス「警戒しろっ! 敵がいるぞっ!」
部下A「はっ! 了解しました!」
一行はサッと臨戦体制に入った。さすがにその道のプロである(もっとも、バールスの部下数名は,その中に含められることにいささか不本意であろうが)。
ヴァトルダー「あの……違うんだ」
ティグ「え?」
ヴァトルダー「これ……俺がやったの……ハハハハ」
シーンと静まった中、ヴァトルダーの空笑いだけが響きわたる。
ローゼン「何考えてるんだ、お前はっ!」
バールス「こんな時に、仲間をボロボロに痛めつけるたぁ、お前、馬鹿か!」
今度はヴァトルダーがケチョンケチョンに痛めつけられた。
ヴァトルダー「う゛っう゛っ……ラエンが悪いんだい、俺は悪かないやい……」
涙の訴えも、ローゼン達の耳には届かない。
ローゼン「『キュアー・ウーンズ』」
ラエンの傷は立ちどころに癒えた。
ラエン「ふう……助かった」
ティグ「で? 一体何が……」
ちゅどおぉぉん!!
何の前置きもなく、突然天井が消滅した。
ティグ「なぁっ!? なぁあっ!?」
ティグが慌てふためく。全員が上を見上げ(ただし、天井の破片に当たり、のたうち回って苦しんでいる奴が約一名いる)、そして愕然とした。
セイン「あー、すいませんねぇ。だいじょーぶですかぁ?」
上でセインが、頭をかきながらフワフワと浮いている。
ティグ「こ、このバカ息子だきゃあ……」
ティグが思わず頭を抱え込んだ。
セイン「どうです? これぐらいで十分だと思いますが?」
ヒュトッと一行の前に降りてきて尋ねる。
ローゼン「十分過ぎるぞ、これは……」
セイン「はっは、そうですか?もう、屋敷の二階以上の部分は完全に消し飛んじゃいましたから、きっとクライドーの奴も死んでると思いますよ」
ローゼン「はぁ、それはそれは……」
末恐ろしい奴だ、と思ったのは、なにもローゼンに限ったことではない。
ヴァトルダー「ぐうぅ……」
天井の破片に直撃し(だいたい10センチ四方の石の固まりが、10メートルほど上から降ってきた、と思ってもらえればよい)、血をダラダラ流して苦しんでいたヴァトルダーが、ようやく声を発した。
セイン「うわぁ、すごい怪我ですね。ヴァトルダーさんほどの人をここまで叩きのめすなんて、とんでもなく強い奴だなぁ。ねぇ、父さん?」
セインが感嘆のため息を漏らす。しかし、その「とんでもなく強い奴」が自分だとは、全然気づいていない。
「たいしたもんだなぁ、セイン君よ。それだけの力があるんだったら、俺一人を殺すことぐらい造作もないよなぁ」
突然、あたりに暗ーい声が響きわたった。言わずと知れたクライドーの声である。
セイン「なにっ? 生きていたのか!? どこだ!? クライドー!」
「左の扉の向こうだよ……」
声がゆっくりと語りかける。
セイン「左!?」
セインは矢のように駆け出し、ティグ達の静止も聞かず左の扉を開けた。
セイン「うきょーっ……」
セインが中へ入ったと思った瞬間、あたりに彼の絶叫(か?)がこだまする。
ティグ「セイン!?」
セインの叫び声を聞き、一行が扉へ駆け寄った。
「残念……。皆さん、もう手遅れですよ……」
扉のすぐ向こうには、大きな鏡があった。その鏡は虹色の光を放っており、中からはクライドーの声が聞こえてくる。
クライドー「おじさん……もう、セインの命は頂きましたよ」
ティグ「なっ……!!」
それを聞いて、ティグが絶句した。
クライドー「くふふふ……はーっはっはっ!!」
ラエン「とんでもねぇやつだな、あいつ」
ラエンがボソッと呟く。
ラエン「やっていることはともかく、見事な手際の良さだ。さすがは、あのフォルの一子、ってところか」
ローゼン「そんな呑気なことを言ってる場合か!?」
ローゼンが苛立つ。
ティグ「……許しません!! 許しませんよ、クライドー!!」
ローゼン「どーせ、また金にものを言わせて生き返らせるくせに……」
ボソッと呟くローゼンの声も、今のティグの耳には届かない。
クライドー「だったら、どうするんだ?」
クライドーの声が、楽しそうに尋ねる。
ティグ「ローゼン君、剣!」
おもむろに叫ぶと、ティグはローゼンの腰に下がったクルカ王家の剣(の柄)を奪った。
ティグ「はっ!!」
ティグが魔力を柄に送り込むと、虹色の刀身が現れた。
ティグ「こうするんですよ、この馬鹿甥っ!!」
ティグはそう言うと、躊躇うことなく剣を鏡に向かって振り下ろした。
クライドー「なっ……!」
さすがにクライドーも、これは予測していなかったらしい。
ひゅんっ!
風を切るような澄んだ音とともに、鏡は斜めに切り倒された。支えを失った上半分が、グラリと傾いて床の上に落ち、粉々に砕け散った。
ティグ「ふう……」
柄を手から放し、ガクッと膝をつく。魔力の消費もさることながら、それ以上に息子のことがショックだったようだ。
ラエン「どうするんだ、ティグさん……」
ラエンが低い声でティグに尋ねる。
ティグ「その前に……」
膝をついたティグが、訴えるような目でローゼンの方を見た。
ティグ「魔力……わけてくれません?」
一行は地面に突っ伏した。
ローゼン「あ……あのねぇ……」
頬をポリポリと掻きながら、それでも律儀に「トランスファー・メンタルパワー」で魔力を(ちょびっと)わける。
ティグ「はぁ……まだクラクラする」
壁にもたれかかって一息つくと、ティグは話しだした。
ティグ「セインのことはよしとして……先ほどは非常の処置として、鏡を割らせて頂きました。ああすれば、クライドーはこっちに来ることができませんから。あの瞬間で、どうするかを考えるのは無理ですからね」
ローゼン「で……どうする気なんです?」
柄を拾い上げながら、ローゼンが尋ねた。
ティグ「さあ……」
ティグは軽く首を振った。
ティグ「それはこれから考えます……。何か方法があるはずですから……」
翌日……
ティグ邸には、集まるだけの人間が集められた。二つの目的のために、である。
ティグ「では、神官の方々はこちらへ。セインを絶対に生き返らせて頂きますからね」
ティグの口調には、有無を言わせぬこわーいものがある。……目の下には隈がくっきり、体調は最悪のようだ。
ぞろぞろ……。
オラン中からかき集められた神官が、雪崩のように儀式の部屋に入っていく。
ラエン「なかなか壮観なものだなぁ、うん」
一人でさっきから頷いているラエン。
ティグ「さ、あっちの方はあの方達に任せて、こっちは別件を片付けちゃいましょう」
別件とは言うまでもない、逃げたクライドーのことである。
かくして、戦士・賢者を問わず、高レベル冒険者+学院関係者(ただし、多少ティグの息がかかって……もとい、ティグの知り合いである)の大論議大会が始まった。
ダルス「……?」
ダルスはその時、背筋に寒けを覚えた。
ダルス「ま、まさかこの感覚……」
「その通りっ!」
声の方を振り向けば、そこには半透明の人影が。おお、これはまさしく……
ダルス他前回関係者「スペクターっ!!」
前回無関係者、ここでパニックに陥り、大半は逃亡、残りは現実逃避……すなわち、気絶した。
ダルス「ま、また来たのか……? ここのところ、ようやく来なくなったと思っていたのに……」
スペクター「ハハハ、まあそういってくれるな。あの奥義書のことが、忘れられなくてなぁ……と、それはそうと皆さん、どうされたのかな?お集まりになられて」
ティグはだいたいのところを説明した。
スペクター「なるほど。そういうことなら、任せてもらおう」
ティグ「と、いうと?」
スペクター「割れた鏡を、我が力を持って復活させてやろう」
「おおっ!?」
一同はざわめきたった。
スペクター「ふふん、何百年……いや、何千年だったか? まあどちらでもいいが、だてに長生きはしておらんわい」
一応、あんたは死んでいるんだが……。
ティグ「では、部下の者に場所を教えさせますんで、早速お願いします」
スペクター「うむ」
仰々しく頷くスペクター。
ティグ「ラエン。ヴァトルダー君をここに……」
ラエン「え? 死んでなきゃいいけど……」
ティグ「大丈夫。殺しても死ぬようなタマですか」
確かこの前、死んだような気が……。
ティグ「さ、他の皆さんは寝ましょう。明日は早いかもしれませんからね」
ヴァトルダー「あーさーだーぞー……おーきーろー」
びくっ!
一同が体を震わせて起きると、そこには血まみれ(でも死んでないけど)のヴァトルダーの姿があった。
ティグ「び……びっくりさせないで下さいよー。心臓にこたえるじゃありませんか」
ヴァトルダー「ふふふ……こんな体に、誰がした……」
ティグ「わ、忘れたんですか!? ラエンとダッシュ君ですよ……」
ヴァトルダー「おーのーれー……」
ばたっ。
そのまま寝ついたようである。
ティグ「うーん。さすがのヴァトルダー君でも、徹夜は多少疲れますか」
いや……そういう次元の問題ではないと思うぞ、これは。
ティグ「ま、いいです。それよりも……」
ぎぎぃぃ……
リーハ「ティグ様。セイン様は、無事に生き返られました」
ティグ「そうですか!」
パッと輝くティグの顔。そのまま部屋の中へ入っていく。
ティグ「いやあ、皆さん、ご苦労様でした。……セイン、どうだ気分は」
セイン「あ……父さん。クライドーは……」
ティグ「もうすぐボコボコにしてやるから、安心して休みなさい」
セイン「はぁ……」
ティグはあたりを見回し、メノの姿を見つけた。すでに意識は朦朧としている。なにしろまだ14歳だ。
ティグ「メノも、お前を生き返らせるために協力していましたよ」
セイン「はは……おかげで助かりました。まさか入った途端バッサリやられるとは思いませんでしたよ、ほんと」
ローゼン「ティグさん」
徹夜でヘロヘロのローゼンが、杖にすがりながら尋ねる。
ローゼン「今日、行くんですか?」
ティグ「ええ、昨晩のうちに、鏡が元に戻っているはずですから」
ローゼン「さようで……」
ローゼンはそのまま杖をつくと、ヨタヨタと出口の方へ歩いていった。……やっぱり、何かと徹夜は疲れるものらしい。精神力も回復しないし。
結局、半日ほど待って全員が睡眠を取ってから行くことにした。
ティグ「さ……準備はよろしいですか、皆さん!」
妙に緊張した面持ちで、ティグが周りを見回す。鏡の中への突入隊、その数占めて14人。ヴァトルダー、ローゼン、ダルス、ダッシュ、フィップの面子に加えて、ラエン、セダル、リーハのネットワーク三支部長、さらにティグの子供のメノ、加えて有給休暇を取ってきたバールス、ついでにリーハにはシルクが、ヴァトルダーにはソローが、ローゼンにはレンディが付いてきた(はっきり言って、最後の三人は「お荷物」以外の何者でもない)。
メノ「お父様、どうして私まで?」
メノが首を傾げて尋ねる。
ティグ「んー?……それはねぇ、お兄ちゃんが動けないからなんだよ」
メノ「そう」
な、なぜ……なぜ、それで納得できる!? いまの言葉のどこに、説得力があったと言うのだっ!?
ヴァトルダー「なぁ、ティグさん。この鏡は、いったいどこへつながっているんだ?」
ヴァトルダーが当然の疑問を口にする。
ティグ「ふふぅん……いいところに気がつきましたねぇ」
そう言って、人指し指を顔の前でちらつかせ、
ティグ「でも、それは行ってからのお・た・の・し・み☆」
ローゼン「素直に知らんと言ったらどうだ」
ティグ「ぐ」
何も絶句しなくてもよかろう。
ティグ「ラエン、セダル、リーハ」
ラエン&セダル&リーハ「はい」
少しの間を置き、ニッコリ笑ってティグは命令を下した。
ティグ「悪いんですけどね、君達のうち誰かが、最初に行って下さい」
ラエン&セダル&リーハ「えーっ!?」
三支部長が、不満の色をあらわにする。
ティグ「もちろん! ただで、とは言いません」
ティグが笑みを絶やさず続ける。
ティグ「行ってくれた方には、これを進呈します」
その手には、全世界クレイン・ネットワーク共通「全品九割引カード」が握られている。
リーハ「……やはり、私は辞退させていただきますわ。命は、お金で買えるものではありません」
……すでに、その観念は通用しなくなりつつあるが……。
セダル「俺もパスさせていただきます。なんのかのと言っても、やっぱり命は惜しい」
ティグ「別に、死ねと言っているわけでは……」
ラエン「……わかった。俺が受ける」
一同の間でどよめきが起こる。
ラエン「死ぬと決まってるわけじゃないしな。ちょっくら行ってくらぁ」
そう言うといきなり、ラエンは鏡に飛び込んだ。虹色の光を放ち、ラエンの体はその中へ吸い込まれた。
ティグ「ラエン……」
ラエン「呼んだか?」
ヌッと鏡の表面にラエンの顔が現れた。
メノ「きゃあっ!」
女性陣は、慌てて男性陣の影に隠れる。
ティグ「ら、ラエンっ! 迷わず成仏して下さいっ! い、いや、生き返らせてあげますっ! だから今は、化けて出ないで……」
ラエン「おいおい。俺は、別に死んじゃいないって」
ティグ「……へ……?」
間の抜けた声を出すティグ。
ラエン「それより、こっちへ来てみな。驚くぜ、きっと」
ティグ「どこなんです?」
ラエン「ティグさんも知っている場所だ……。ロマールのガルファー卿のところだよ」
ティグ「……うそ」
ほんの数十分後、一行はオランから遠く離れたロマール王国に来ていた。より正確に言えば、ロマールの貴族であるガルファー卿の屋敷に、である。
ティグ「……それにしても驚きました」
円卓を囲み、ガルファー卿の執事さんに出された紅茶をすすりながら、ティグは何度目かのため息をついた。
ガルファー「そう驚かれんでもよかろう。これも何かの縁だよ」
ちょうど向かい合った位置に座っているこのガルファー卿、なかなか恰幅のよい、見るからに裕福そうな初老の男である。
ガルファー「それにしても、こちらもそうとう驚かされれたぞ、ティグ殿。執事から、部屋の鏡からラエン殿がでてきた、との報告を受けたときは、正直言って我が耳を疑いましたわい」
ティグ「でしょうねぇ……」
カップを机の上に置き、ティグはクライドーのことを尋ねた。
ガルファー「クライドー殿……と、いまはあやつめは敵にあたるのでしたな。そのクライドーのことだが、あの鏡は、昨日あやつが持ってきたのだ。「私には用済みですので、お安くしときますよ、旦那……」などと言っておった。
明け方に執事が、鏡が光っていることに気付いてな。一応、見張らせておいたのだが……なるほど、そういうことだったとは……」
一人頷いて納得する。
ガルファー「で、問題の居場所なのだがな。すまぬが、わからないのだ。何しろ事情を知らなかったものだから、どこへ行くのかなど、聞く必要もなかったのでな」
ティグ「そうですか……」
やや落胆した声で答えるティグ。
ティグ「いや、どうもお邪魔しました」
ガルファー「いやいや。で、ティグ殿は、これからどうなさるのかな?」
ティグは頭を軽くトン、トンと叩いたあと、答えた。
ティグ「ネットワークのロマール支部ヘ行って、いろいろと調べますよ」
ラエン「あのぉ、そいつぁちょっと……」
ラエンが困った表情をする。
ティグ「はい? ……あ、そういえば、ここの支部長はあなたでしたっけね、ラエン。んー、どうして困ってるのかなぁ?」
ラエン「ぐ……なんて嫌味な」
ラエンはティグのことを一瞬睨んだが、次の瞬間一計を案じた。
ラエン「ねぇ……ティグ様ぁん☆」
言いつつ、体をティグにスリ寄せる。ハッキリ言って気持ち悪い。セダル、リーハ、レンディ、シルク、メノはあえなく撃沈、ローゼン、フィップ、ダッシュ、ソローは沈没寸前、順風満帆なのはヴァトルダーとダルスのみである。
ラエン「ねぇ……ん☆」
ティグの髪の毛が逆立つ。顔色真っ青、のーみそ真っ白。
ティグ「や……やめて……」
声がかすれている。ガルファーさんもハンカチを口に当てて部屋から遁走した。
ラエン「なら、支部に行くって話はなしにしてくれます?」
急に地声に戻る。それと同時にティグも正気に戻る。
ティグ「……駄目」
ラエン「そ、それじゃあ……」
ティグ「脱ぐんじゃありませんっ!」
血迷いかけたラエンをティグが制した。
ティグ「まったく……これは、もうあげません」
言って、懐から金色のカードを取り出してビリビリ破く。
ラエン「あ、それは……っ!」
言わずとしれた「全品九割引カード」である。
ティグ「これ以上すると、五割減俸ですよ。ま、おそらくその様子じゃあ、支部に行った時点で二割減俸は確実でしょうが……」
ラエン「ああ……」
ラエンはそのままへなへなと座り込んだ。
ティグ「ガルファーさーん、もう大丈夫ですよ……」
その声に、こわごわガルファーが戻ってきた。
ティグ「さて、話を戻しまして……。えー、クライドーは、どうあがいたって大陸からは逃げられませんから。最悪、異界へでも逃げ込んでいたらどうしようかと思って、これだけの大人数で来たのですが……どうやら、取り越し苦労だったようですね」
ガルファー「はっはっは、だが、そのほうがよいではないか。……では、何かあったらまた来てくれたまえ。私も、出来る限りのことはお手伝いしよう」
ティグ「どうも。では、これで」
一行は、ガルファー邸をあとにした。
クレイン・ネットワーク・ロマール支部。その日、突然のティグの来訪に、支部はパニックに陥った。
「く、クレイン様がいらっしゃったぞぉ!」
「なにぃ! は、早く仕事にかかれぇ!」
「ああ、こんなときに、ラエン支部長が本部へ出張とはーっ!」
ティグと一緒にいるって。
ティグ「別に、今更慌てたって、ねぇ……」
ティグが呆れ顔で呟く。
ラエン「まったく。人間、諦めが肝心だってのに」
お前が言うな、ラエン。
ヴァトルダー「それにしても、きったねぇところだな、ここ」
ヴァトルダーが辺りを見渡してぼやく。
ヴァトルダー「どこを見ても、シミだらけだ」
指を床につけてツィーッと滑らせ、
ヴァトルダー「それに、ほれ、この埃。他の支部ってのも、こんなもんなのか?」
お前はどこぞの小姑か?
セダル「失敬な」
リーハ「ここは、きっとグンを抜いて汚い支部ですわよ」
セダルとリーハの抗議に、ラエンの面目丸潰れである。
ティグ「さて、処分は決まりましたね。まあ、一割減俸で勘弁して上げましょう。期間は三ヵ月ね」
ラエンの顔がムンクになる。
ラエン「そ、そんなぁ……。お代官様ぁ、うちには病気の母と女房、それに乳飲み子もおりますじゃあ。なにとぞ、なにとぞ寛大なご処置を……」
ティグ「生涯独身予定のあなたが何をおっしゃいます」
そ……そんなミもフタもないことを平然と……。
ラエン「そ……それじゃあ、俺、ちょっと寝室とかの手配をしてきますんで……」
ローゼン「あ、俺とレンディの分はいいぞ。そこら辺の宿屋で泊まるから」
そんなにここが嫌か? ローゼン。
リーハ「でしたら、私はシルクとメノちゃんと三人でラーダ神殿に行きますわ」
ラエン「あ、そぉ?」
露骨に悔しがるラエン。お前、手を出そうとしていたな。
セダル「俺はここでも構わないが……」
そう言ってふと考え込み、
セダル「いや、やめる。ローゼン君と同じ所に泊まることにしよう。どうもここは汚い」
は、はっきり言ってしまったな……。言ってはならんことを……。
ヴァトルダー「ラエン……」
ラエン「何だ?」
面倒くさそうに答えるラエン。
ヴァトルダー「ここに泊まるのは、タダか?」
真顔で尋ねることではないと思うが……。
ラエン「ティグさんに聞いてくれ。いまはあの人が、絶対の権限を持っている」
ティグ「別に構いませんよ、それで」
ティグはあっさりと答える。
ヴァトルダー「よし、じゃあ、俺はここに泊まる」
ティグ「そりゃまずい……」
ティグが考え込んだ。
ヴァトルダー「言われる前に言っておくが、俺は変な気は起こさんぞ」
先を読んだヴァトルダーが前もって言う。
レンディ「ねぇ、ヴァトルダーさん」
ひょいっ、と身を乗り出すレンディ。
レンディ「ローゼンから聞いたんですけどね、やっぱりロリ○ンはまずいんじゃないですかねぇ」
ヴァトルダーは無言でローゼンを殴り倒した。
レンディ「ああっ! ローゼン」
ローゼン「こらぁ、ロリ○ン! 何をするか!」
多少メノとシルクの方に顔を向けつつ、ヴァトルダーに怒鳴る。
メノ「ええっ!?」
シルク「まぁ、あの人が……」
二人の驚きと感嘆の声に、ヴァトルダーは怒った。
ヴァトルダー「ええぃ!黙らんかぁ!俺はロリ○ンじゃなーいっ!」
ティグ「でも、少なくとも女好きですね」
ヴァトルダーの怒りはスゥッと萎えた。反論の余地、まるっきりなし。
ティグ「そーいうわけだから、あのお姉ちゃんと一緒に行きなさい、ソローちゃん」
ソロー「はーい」
ヴァトルダー「ああっ、ソロ〜」
ヴァトルダーの声も虚しく、ソローはリーハの元へ……。
ラエン「もう、他に行くものはいないな?えーと、ここに泊まるのは、ティグさんとヴァトルダーとフィップ君、ダルスさん、ダッシュさん、それからバールスさん……と、以上だな」
確認を取ると、ラエンは食事と寝室を手配しに奥へ入っていった。
ティグ「では、一端解散しましょうか。私も、ここの闇市を見てきたいですし……結構掘り出し物があるんですよ、ここは」
ローゼン「知ってる。前に一回、ここへ来たことがあるんだ」
ティグ「では、解散!ローゼン君たち、また明日の朝、会いましょう!」
ローゼン「おうっ!」
こうして、別働隊の3+3人は宿と神殿へ、ティグ&ヴァトルダーのパーティの残りは、ロマール名物(?)闇市へと繰り出していった。